六甲アイランド高校編/長崎周成との出会い
いつも記事を買ってくださる方々、本当にありがとうございます。
2月ももう終わりですね。
早い。
遂に3月。
3月15日 「池田と愉快な仲間たち」
レインボー池田さん軍団のライブ
3月22日 「キックオフ!!」
サッカーについて語るライブ
よろしければ見に来てください。
そして
3月21日 19時〜
とても大事なライブがあります。
始動です。
ご予定、空けといていただけましたら幸いです!
"幼少期からつっこんでましたか?"
"芸人になると言った時の家族の反応"
"学生時代のお笑いの話"
前回記事は、この3つについて書く予定でしたが、ひとつめの
"幼少期からつっこんでましたか?"
これについてしか書ききれませんでした。
図らずも小学校・中学校編となりました。
今回は
"芸人になると言った時の家族の反応"
"学生時代のお笑いの話"
これらについて書きたいと思います。
僕がお笑いを始めたのは、始めたと言っていいのかわかりませんが、高校2年生の頃です。
歩いて3分走れば1分の近所の中学校を卒業し、歩いて15分走れば10分自転車で5分の近所の高校に進学しました。
小学校、中学校と、合わせて9年間サッカー部でしたが、自分にサッカーの才能が無いのは明らかでしたし、何よりサッカーの練習がきつかったので、高校生になったらサッカー以外の部活動に入って自分の見聞を広げよう、と考えていました。
その為に吹奏楽部の強いこの高校に入ったのです。
入学直後、早速、吹奏楽部の体験に行きました。
ギターは中学生の頃からもう弾いていましたし、小学校5年生6年生の頃はピアノも習っていましたので、ある程度は音楽への関心や知識はありました。
女の子の中に混じって、男1人だけ。
トランペット、トロンボーン、ドラムと、楽器を演奏させてもらって気持ちは吹奏楽部に一直線。
ただ一応、次の日、水泳部の体験にも行きました。
小学校6年間スイミングスクールにも通っていたので、なんとなく。
あんまり楽しくなさそう、そして冬寒そう。
吹奏楽部で決まりやな!!!
と思いながらプール場を出ると、目の前をたまたまサッカー部の体験帰りの1年生連中が目の前を通りました。
その中のひょろ長い1人が僕を見るなり
「お!向洋中のサッカー部のキャプテンやんけ!サッカー部入らんの?サッカー部来いよ!」
と言ってきました。
それが、後の相方であり、僕の人生をお笑い芸人へと導いた、現・放送作家/フワちゃんの生みの親/株式会社チャビー代表の、長崎周成でした。
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