日本語として正しいのか正しくないのか分からないフレーズ

TVやネット、You Tubeでいろいろな人が話していたり、書いていたりするのを観る。そのとき、何か違和感があるけど、日本語的に合っているのかどうか僕には判断できないフレーズがいくつかあった。

そこで、僕が感じた日本語の不思議な感覚を共有してみたいと思う

「1+1が3にも4にもなる」

これはコンビで活動しているユニットがパートナーとの相性のよさを表現するときによく使われるフレーズだと思う。

しかし、ご存知の通り、1+1=2である。つまり、どう頑張っても1+1は2にしかならないのである。それなのに3とか4になると言う。したがって、普通は1人+1人は2人にしかならないけど、この2人が手を組めば、2人以上の可能性を持つことを示したいがゆえのフレーズだろうと思う。

ただ、やはり気になるところはある。
まず、「=」の左辺と右辺は同じ性質のものでなければならないと思う。このフレーズの場合、「=」を表す「が」の左と右は同じ性質でなければならないはずである。しかし、このフレーズの左は人数を表し、1人+1人を表しているのに対して、右は3とか4と人数でない性質となっており、不均等な気がする。

また、「+」よりも掛け合わせるという意味の「×」というよりよい表現があるような気もする。日本語的には「足す」よりも「かける」の方がしっくりくるのではないか。

「パンチ力のあるシュート」

これはサッカーの中継でよく聴くフレーズである。すごい勢いがあるシュートを打つことができるプレイヤーにむけて言うことが多い。つまり、強くていいシュートにこのフレーズを使うことが多い。

しかし、サッカーは脚で行うスポーツである。それにパンチという拳でのパワーを表す尺度を使って、脚から放たれるシュートの力を表現するという不均等さを感じる

確かにパンチは拳でのパワー以外にも、パンチパーマなどの違う意味はある。でも、「パンチ力」と行った場合には、ボクシングのように拳でのパワーの方がしっくりくる意味合いだと思う。

「音がゲシュタルト崩壊する」

You Tubeで同じ歌詞が多用される音楽とかのコメント欄でよく観るフレーズであり、「〇〇がゲシュタルト崩壊する」とか書かれてるときがある。

ただやはりおかしいのが、日本語の問題ではないが、「ゲシュタルト崩壊」の「ゲシュタルト」である。「ゲシュタルト」は別に人の名前ではなく、ドイツ語で形や形態を意味する。なので、「ゲシュタルト崩壊」は同じ形を見すぎることで、その形を崩して認知してしまうということである。

よって、「〇〇がゲシュタルト崩壊する。」の〇〇を視覚以外での認知の対象はありえないのだ。それなのに、たくさん同じフレーズを聞いたときに、そのフレーズを聞き取れなくなることに対して使うことがある。それはゲシュタルト崩壊ではないのである。〇〇が音の場合、耳で物を見ることができる人になってしまう。

「1ミリも聞いたことがない」

まったく聞いたことがないことを言うときによく使われる表現である。特に「誰かがこう言ってたって聞いたんだけど」と、三人称の相手が話していたことに対して使うときによく使われるフレーズだと思われる。

「ミリ」は言わずもがな1000分の1を表す単位である。そこで、「1ミリも聞いたことがない」の「1」はどのような数字なのであろうか。長さや時間を表しているわけではないだろう。

この「1」を意味的に捉えると回数になりそうである。「一回も聞いたことがない」ならまったく問題がないフレーズとなる。しかし、回数を、ミリという1000分の1を表すものを使って、1000分の1回という回数を表すことはできないだろう

別に僕は否定したいわけではない

いろいろなモヤッとするフレーズを挙げてきたけど、他にもいろいろ挙げれそうであろう。ただ、僕がパッと思いついたことを書いてきただけである。

別に僕はこれらを否定したいわけでない。何か不思議な感覚を共感したいだけである。もし、他にも見つけたら教えてほしい。