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映画『フィッシュマンズ』試写感想

フィッシュマンズの映画、試写拝見しました。
面白かった。

音楽ドキュメンタリーは、思い入れたっぷりに対象を美化して描くものも多く、ファンもそれを求めているという構図もありますし、また別のベクトルでは、ゴシップ的にセンセーショナルな演出を施したものも散見します。
そう言った面で、ちょっと構えて見たところもあったのですが、1982年生まれで、中期〜後期あたりがリアルタイムかと思われる監督の手嶋氏は、比較的客観的に、良い面も悪い面も事実に則し(即そうと)、誠実に作り上げているように感じました。

全体を通して印象的だったのは、当たり前の話ですが、メンバーや関係者も歳をとる、時間は流れ続けているということ、そして生は続いていくということ。
バンドや音楽というのも人生の中の一部であるということ(現実として、バンドという器が先にありその中に人生があるということは起きえない)。

登場しなかった関係者の方の心情も含め(もちろんそれは具体的には分かりません)、様々な人生に想いを馳せました。

私がフィシュマンズのファンになったのは、「ナイトクルージング」からで(それまでは雑誌などで見かける可愛い雰囲気のバンドというイメージ)、すでに好きだった、清志郎と現行のテクノ(以降のセンス、当時の言い方だとトリップ・ポップ)が合体していると感じ、意味合い〜物語と音の面白さ、どちらの需要も満たすその時の日本では稀有な(ほぼ唯一?)グループだと思いました。
「空中キャンプ」は半年くらい毎日聴き続け、沢山の友達にも勧め、勝手に布教活動をするほど熱狂しました。

その後も、佐藤氏死去までのリリースは全て発売すぐにチェックし続けましたが、音楽的により研ぎ澄まされていくのと同時に、表現の中に滲む諦観、厭世観が前景化していくのも気になる所でした。
なので、浮世離れしながらも、どこか牧歌的な大らかさも携えている「空中キャンプ」が、当時も今もフェイバリットでしょうか。

以前、ファンとして取材していただいたフィッシュマンズの本(今、手元になく名前失念してしまいました)でも話したのですが、当時、御多分に洩れず貧乏学生で、ライブを見に行ったことはありません。
正確にいうと、一度だけ、野音のライブ時に、会場の外に漏れる音を聞きに行ったことがあります。
肌寒かったのと、やはり漏れてくる音だけでは今一つ面白くなかった記憶があります。

1999年3月、葛西での佐藤伸治音楽葬。こちらも寒い日だった記憶です。何時間も並んだことを覚えています。

その後10年くらいは、聴きかえす気にならず、全く聴きませんでした。
自分が思春期に影響を受けたものとして、時代の記憶に結びつき過ぎているということもありますし、911以降の(そして現在にも繋がる)閉塞し始めた時代の中では、その内向的小宇宙的表現が、時代とチューニングが合いすぎるように、感じたからかもしれません。
バブル崩壊後でも、まだ大らかな空気がベースにあった時代のカウンターとしての厭世観とは意味が違っているとも感じました(雑に言うと、今これ以上こっちに引っ張られるとヤバいという感じ)。
また、バンドの辿った歴史的に、盲信的、感傷的なファンの方も多く、ちょっと距離を置きたくもありました。

甘い記憶の中に留まっていてはならないという気持ち、モヤモヤした気持ちがやっと溶解し始め、普通に聴けるようになったのは、近年のことです。
そんなタイミングで、今回の映画を見たのですが、色々なことはもう忘れて、と、いうか忘れるくらい年月も経ちましたし、素直にやっと、私はフィッシュマンが好きだな、と思えた映画でした。

<2021年6月3日 インスタグラムへの投稿の転載です>
https://www.instagram.com/p/CPp0ypJjVyJ/?igsh=MW1naG42amlxdGh0dQ==

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