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坂本龍一『12』感想 「無我の境地的純音楽、音楽に捧げた音楽」

楽しい、面白い、グッとくる、〇〇に合う、〇〇を表現している、等、音楽に付随する全ての効能、物語を廃し、ただそこに剥き出しの音があるという感じの無我の境地的純音楽。

ドビュッシーでも、現代音楽でも、ジャズでも、アンビエントでもなく、その他様々な、どの様式にも帰属せず、同時にその全てであるような森羅万象系。

前作『async』も最高でしたが、『async』は、使用楽器も多彩で様々なアイデアが織り込まれ、『12』と比べ、明確にエンターテインする意思が感じられる、広義のポップ・ミュージックだったんだなと思えるほど、今作はやり切っている感じがしました。
『12』は本当に、作者が自分のために、もしくは誰のためでもなく作られた音のように聴こえる。

インストゥルメンタルですが、全く「ながら聴き」に適さず、自然に、音との対峙を迫られるような鬼気迫る純度、もうこの後に聴く音楽がなくなってしまうような音の塊。

まだ一周(1時間)しか聴いていないのに、時間感覚がおかしくなる感じがする、濃厚な密度を持った巨大な空白。

純音楽だと思いましたが「芸術」を指向しているようにも聴こえない、雲の動きや、水の流れ、風の鼓動のような音楽だとも感じました。

そして、削ぎ落とし研ぎ澄まされながらも、自動生成したような音楽とも何かが違い、ここには確かに人間がいる、これは人類の叡智が生み出した美しい音だとも感じます。

バッハに「音楽の捧げもの (Music Offering )」というフリードリヒ大王に献呈した曲がありますが、このアルバムは「音楽に捧げた音楽」という気がしました。

鼻息? 呼吸? をそのまま収録している曲がありますが、教授が敬愛するピアニスト、グレン・グールドが同様に、演奏時の自分の声も入った録音物を残す人でした。

オマージュという言い方が適しているのか分かりませんが、グールドのことは頭にあったような気がします。

今作への感想で「鼻息を止めてくれ」というのを見かけましたが、グールドのアルバムも確か同じこと言われていたように思います。

上記つぶやきは、事前情報なしで『12』を1周聴いての昂った感想で、無我の境地的なことを書きましたが、終盤数曲のピアノ曲は、僅かにドビュッシー的色彩、甘さを内包、最終曲の金属の音は、全ての終わりのような全ての始まりのような響きがあり、終盤は禁欲的ですが作意を持った音の動きがありますね。

あと、それを言うと野暮ったい感じもありますが、記号ではなく、本質的な意味合いで「禅」的な作品という印象。

以上、この記事は、2023/01/17にX(旧Twitter)ポストした投稿をまとめたものです。

<2024/05/28 追記>
上記は、サブスクで聴取後の感想。
この後、早速レコードを注文したものの、まだ発売日当日に関わらず国内盤は売り切れ。
春くらいに発送となっていた国外盤を買う。
が、なかなか届かず、注文したことを忘れた夏あたりにやっと届く(注文から半年以上)。
その間に作者の逝去もあり、自分のテンションと噛み合わなくなってしまい、聴くタイミングを逃して、ずっとシュリンクを開けずにレコード棚に入ったまま、一度も聴いていない。

最初の衝撃が大きく、また、(薄々分かっていたとはいえ)遺作になってしまったことにより、削ぎ落とされた音楽自体と相反し、沢山の意味がつき、気軽に聴けない一枚になってしまったが、20世紀日本を代表する偉大な作曲家/ポップ・スターが最後に残した、鬼気迫る一枚に、いずれまた対峙する時まで、一度も針を落としていない『12』のレコードを大事に保管しようと思います。

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