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遠野 / 釜石 / 陸前高田 紀行

以前から興味があった岩手県遠野を初訪問。
遠野といえば、なんといっても柳田國男『遠野物語』だが、現地に行くと、柳田國男に地元の民話を伝えた、小説家志望だった青年「佐々木喜善」の功績を讃える動きも強いのが印象的。

遠野は、山奥の秘境という感じではなく、ゆったりとした空気感はありつつも、必要以上に観光化されていない、素朴で、自然が綺麗な地域だと感じた。
駅から離れた国道沿い以外には、チェーン店やコンビニもなく、夜7時にもなれば駅前も閑散とするが、寂れているという風でもない独特の佇まい。
遠野はジンギスカンが名物だということを初めて知る。

国が選定する重要文化的景観にも選ばれている、佐々木喜善の生まれた地域、土淵町山口集落へ行く。
印象的なY字路で集落が二分されており、開けた美しい田畑、たおやかな雰囲気が印象的。
昼下がり、畑の隅に寝転がり何をするでもなく佇む農夫は、数十年前からずっとそうして寝転がっている風景の一部、もしくは物語の登場人物のように感じられた。

「カッパ淵」、集落を見下ろせる喜善の墓地もある岡「ダンノハナ」、姥捨山だった「デンデラ野」も見学。
デンデラ野は集落から数分ほどと、わりあい集落に近く、姥捨山に捨てられた老人も、昼は農作業をしに集落に降りてきていたそうだ。

三陸鉄道リアス線に乗ってみたかったので、釜石線の東の終点、釜石へ。
何も知らなかったが、釜石は、近代製鉄業発祥の地とのこと。
そもそも、釜石線は、日本で3番目に作られた鉄道で、釜石鉱山で採られた鉱石を運搬していたようだ。
前身の岩手軽便鉄道は、釜石線の西の終点、花巻出身の宮沢賢治をインスパイアし『銀河鉄道の夜』が生まれたという。

落差29メートル、国内屈指の洞窟内の滝を有する滝観洞へ行く。
今まで、いくつか鍾乳洞に行ったことがあったが、滝観洞は、自分が行ったことがある鍾乳洞とはレベルが違う、老人や子供は歩行不可能なのではないかと思われる、かなり自然の起伏が剥き出しの凄い鍾乳洞だった。
数億年かけて作り上げられた、岩岩、大理石が美しく、人間が作為的に作り上げたものが到底辿り付かない説得力、スケールを感じる。
洞窟の終点には、巨大な滝。

滝観洞の最寄駅、上有住駅は、山々に囲まれ、民家も見当たらず、電車も数時間に一本という、かなり凄い無人駅。釜石線自体が、全線非電化単線で愛おしい佇まい。

国登録有形文化財になっている、旧釜石鉱山事務所、山肌に古代の壁画のような痕跡を残す採掘場跡地も見学した。
最盛期は、敷地内に学校や病院もあり、山奥でありながら市街地より栄えていたという釜石鉱山だが、数十年前に大規模な採掘は終了しており、現在は、夢の後といった趣。
区画だけ残し、草木が生えているこの野原に、家が立ち、子供たちが走り回っていたのだろうかと、夢の奥を幻視。

浮世離れした雰囲気の遠野に対して、近代的、現代的な釜石といった印象。
鉄工業が盛んだった流れで、ラグビーの社会人チームが強く、ラグビーで有名な街のようだ。
また、釜石ラーメンが有名らしいので食べてみた。
鉄工の街から連想される濃い味付けではなく、意外と素朴な昭和ラーメン、ちぢれ麺。

快活な飲み屋のママが、「良い街だけど、小さな街よ、みんな知り合い」
と、憂うでも、誇るでもなく、淡々と語った言葉が心に残る。

三陸リアス線を南下し、震災後、2011年、2012年に伺ってから約10年ぶりに、岩手県陸前高田へ行く。
東京でDJをしていて、震災後、地元陸前に帰った友達とも再会。
同じく10年ぶりくらいに気仙沼にも行く。

震災後すぐの陸前高田は、海から2キロに渡り街が全て流されているような惨状。
全ての道が機能しない状態になっていたので、車のカーナビが誤作動し、いつまでもいつまでも同じ道をグルグルと回ったのを忘れることができない。

新しく息吹をあげ、営みを取り戻し、再び時計の針を進め始めた街並みを見学。
全てが新しく、人工的だが、その奥には、連綿と続く、街の歴史が、人々の記憶が、確かにあるように思えた。

以上、この記事は、2023年10月にインスタグラムに書いた投稿をまとめたものです。
その1
その2
その3
その4

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