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ドラゴン桜だと思ってた

高校生活がドラゴン桜みてえになると思っていた。小学生の頃は自分もガッキーになれると思っていたのだが……やれやれ……


大人になったらどんな感じになると思ってたっけとふと考えてみる。

ラジオアナウンサーになりたいとは思っていたものの、当時からたくさんの人と大きな職場で働くというよりは、ひとりお師匠さんについて修行しながら小チームで働くイメージをしていたかも。それこそリーガル・ハイみたいな。結局ガッキー。私は結局、ガッキーになれなかったのである。


ガッキーにならず、大変変な大人になってしまった。私は生まれる時期を10年間違えたと思っているので(あまりに10個上くらいの人々のエンタメ文化と親和性がありすぎる)、時代に心身ともに合わず病気になり、結果体を労りつつ週4〜5で働き、金にもならないのにこうしてインターネットでボソボソ話す高等遊民のような生活をしている。

現実見ろ見ろ人間が嫌いだけど特に夢や理想も語らない(ずん飯尾氏のあのネタくらいには希望は持つようにしている)。来てしまったものに対しては「なるほどな」と思うようにして、失ったものに対しては「寂しいな」と思う。多分なんかそれでいいのだと私は考えている。


向上心や意識がどうのの話も嫌いである。私が勉強や読書、あらゆるところを見に行ったりするのは純粋に好奇心と恐怖心からであって意識を高く持つとか、こうしなきゃだめとかいうところから来るものではない。

お仕事でも割とそうである。厄介だなと自分でも思うのが「指示や説明が正しいかどうか判断できないとずっと納得できない顔をして働く」という癖があることである。

例えば今の職場では「導入している機器にできるはずのことができない」問題があり、納得できなくて中構造、回路、どこで開発されたのか全部調べてしまった。調べた結果デバイスの読み取り形式が複数あり、職場に導入しているものはそのうちの1個しか採用していない機種であるということがわかった。これでお客様にも説明できるゾ……と、こうなって初めて安心して仕事ができるのである。厄介である。


私の好きな俳優、高橋一生氏もバラエティの企画でBluetoothイヤホンを選んでいたときに、入力出力形式やBluetoothのバージョン等かなり細かいところまで店員さんに「事前に調べた上で」確認していた。家電量販店の店員さんは調べれば調べていくほど、テンションが上がってめちゃくちゃ教えてくれることが多い。

要らんところまで知る、というのは向上心や自分を飾ってよくみせるためのものではなく、ただ単純に楽しいのと、省エネルギーで生活がより豊かになったり、有識者からさらなる情報を引っ張り出せたりする、めちゃくちゃ毎日が明るくなることなのである。


そんなもんなのであろう。

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