話すの何回目かな 1

今日は、父親の誕生日だ。
このnoteを始めてから何度か書いているが、今一度思い出すとしよう。新規に思い出していることもあるかもしれない。話さなければ忘れてしまう。忘れたら本当に、なかったことになってしまう。

長くなるのでわけよう。


私が生まれる予定日も、この日だったと聴いている(10日遅れた)。

父親は普段出稼ぎに北部に行ってて、1ヶ月に1度、大きな買い物袋にいろんなものを詰めて帰ってきた。その時に外で起こったお話を沢山してくれた。

母親は教育に悪いと、父親の言うことは聴かぬよう私に言っていた。母方の祖父母は、第一子を出産から1ヶ月も経たないうちに亡くしてしまっており、そのこともあって子供には「教えない」「させない」「外に出さない」というのが子供を守ることだと思っていた。そのように育てられた母親も、私のことを片時も離さず、何も考えずに母親の言うことだけを聴くように育てられた。


それをぶち壊す父親。
「トリビアの泉のトリビアをナレーションより先に答えられたら勝ち」ゲームをし、美味い飯屋を連れ回され、ブックオフに寄って50円くらいで買える怪しい本をかき集め、NEWS23の蛙男劇場でゲラゲラ笑った。夜中1時に助手席に座らされ、父親の隣でシートを倒して寝転がり、エンダーに向かいながら58号線の街灯が動くのを観るのが好きだった。


色んなことを話してくれた。
空手の修行で骨を砕かれたこと、人の結婚式に潜り込んで飯を食ってたのがバレて大事になったこと、東京でホームレスをしてたこと、ノリで向こうの大学を受験して合格したけど金が払えなかったこと、暴飲暴食でもう友達の半数は死んでいること、その友達がたまに会いに来ること。

彼自身も、病気でもう長くないこと。病気やらで血液が汚れすぎて友達に輸血ができなかったこと。筋肉が衰えていく病だが、山奥に住む神の手を持つジジイにあん摩をお願いしてしのいでいること。
彼の人生の話は異様で面白いが少し悲しく、普段塞がれている耳と知的好奇心をくすぐった。

もっと話してよ、今日はなんのお話?
「もう字が読めるでしょう」と幼稚園生で抱っこも絵本の読み聞かせもしてくれなくなった我が家で、父親がいるときだけ、自由に子供になれた。

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