話すの何回目かな 2

父、69周年記念 続き


父親がいないときは、こっそり本を読んだ。
最初は雑誌や新書をめくるだけ。次に漢字辞典を隅々まで。次は国語辞典と、クレヨンしんちゃんを1巻から。

テレビもラジオも、母親が「面白くないから見ないでよし」とするものを漁った。知を得るとはじめは怒られたけれど、「まあ、違う家の血が入っているし」と早々に諦められた。
祖母だけ「そんなに字を読んだら体を壊す、辞めさせてあげなさい」と心配して母親に詰め寄った。祖父は実は元々勉強や字を書くのがとても好きで「え?この子本が読めるの?」と次第に喜ぶようになった。


色んなことを教えてもらって、これからも色んな話を聴きたいと思っていた頃に、彼はふと姿を消した。弱っていく姿を見せたくなかったのかもしれない。私はその頃平気で門限を破り、無意味な要求をしてくる先生と喧嘩し、暗くなるまでアスファルトの上で好きな勉強をして、暗くなったらランドセルを枕に、そのままひんやりとした石の上で寝る生活を送っており、囲われ閉じ込められるような子では無くなっていたけれど、まだまだ外に引っ張って欲しかった。


知識だけは奪われないしなくならないから、分け与えなさい

俺の娘なんだから偉そうにしなさい、偉そうにするからには人を助けなさい

悪いやつにはより、偉そうにしなさい

なんでもする人になりなさい。


おおかた、こんな感じのことを言われていた。
彼は一級建築士の資格を持つキレ者でありながら、雑用、ごみ処理、施設管理、プール監視など、なんでもする人だった。少しでも見下してくる人間がいれば、その人間を死ぬほどこきつかい、職業に貴賎はないということを「わからせた」という……

ーー余談だが、私が幼稚園の頃、私をなんとかいじめようとするガキ大将の女の子がいて、父親がその子に「おい知ってるか?人に意地悪する人間の腹の中にはそういう虫がいるという話がある……話によるととても恐ろしい虫らしく専門家の間では……」という話をして何かを「わからせて」いた……


続く

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