DaiGoの本棚が欲しい

メンタリストDaiGo氏の日頃の論は私の頭とかけ離れているのでアレなのだが、DaiGo氏が持っている本棚は欲しい。 

これである


壁一面を本棚にできる上、組み立てやバラしが楽らしく移動も便利とのこと。欲し〜


実のところ今わたしは年に一度の母親ハッピーバースデイ企画、県内宿に泊まろうの会の真っ最中なのだが、宿に泊まるとつくづく家というものが労働の場所であるということを実感させられる。

それはただ単に掃除洗濯をしなくてはならない、といったものではなく、「自分のために動けない」というものがある。やはり家族といえど人間と暮らすのにはエネルギーがいる。私の気質から人のためにのみ動いてしまい、自分のケアは一切できないまま、また出勤して会社のために働き、家ではあらゆる家族のためにのみ動いている状態である。完全に落ち着ける場所などない。

自分のために掃除洗濯料理思考等できたらどれほど楽だろう。ひとりなら全裸で過ごしてても怒られないし(私は「社会」というものがあるから服を着ているわけであって)。

それは誰に臆することなく本を読み楽器を弾き、好きなときに線香などに火をつけ茶をすする。誰に呼ばれるでもなく湯船にゆっくり浸かったり、昼食いすぎたなら夜は食わなくても誰にも文句は言われない。ストレッチやスキンケアをしていても何も言われない。そのような生活である。

誰の反応もない空間がほしい。寝ないの?とか食べないの?とか痩せたいの?とかなんで日焼け止め塗るの?なんで汗かいてるの?とか聞かないでほしい。


文学や芸術に囲まれて、自分が自分のために家事やらをできる空間ーーもしくは「何もしなくていい」が保証される時間のある空間、それが私に必要な「家」であろうと思う。

誰かが容易に部屋に入ってきたり、容易に呼び出されたり、容易に食べるものや着るものを指定される空間は家などではなく職場に等しい。私は途端に「同居をしている者に快適に過ごしてもらうための道具」に自分を落とし込んでしまうので、休憩が必要である。

休憩できる家が欲しい。それを象徴するモノが、「DaiGo氏の本棚」なのである。私の周りの人々は一切、本を読まないから。

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