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都会の夜を駆け抜けて

夜の渋谷を駆け抜ける。

強烈な寒波が迫りつつあるこの夜は、東京といえども空気が冷たく感じられる。それが、ちょっとした運動で温まった体には心地よい。
それにしても、またこうやって走ることになるとは思いもしなかったな。
こういうオチも旅の醍醐味というものなのだろう。

あたりがすっかり暗くなった頃。それでも賑やかな街明かりから目を休めるように、ふと、空を見上げてみる。都会の空はどうにも狭い。夜の帷も街の明かりに濁っている。それに、夜空を彩るはずの星は、明星1つ見えるくらいだ。
街明かりの数だけ、夜空が暗がりで埋まっていく。それに引っ張られるように、寂しさが広がっていく。
大学時代に所属していた団体を抜ける際に
「お前はもういらないから」と、言われてから、人から必要とされるため、むやみやたらと空回っていた節があったように思う。空回った挙句の色々あって、どうせ迷惑になるのだからと、人と距離を置きたがるようになった。

感傷に浸ってばかりもいられない。19時の終了近くになっても、人が集まってくる会場は賑やかだった。その人だかりに興味を持つ道ゆく人へ、挨拶したり、話をしたりしていると、お時間です。と、片付けが始まる。
最後まで残っていた人たちみんなで片付けて、食事を囲むこととなった。
歩いて10分くらいのところ、「写真集食堂めぐたま」へと、緩やかな上り坂を歩く。正直なところ、東京駅で1人ゆっくりとお土産を物色するのとどっちにしようかと迷っていたが、せっかくなのでご一緒することにした。
あまのさんのご縁で連れられた「写真集食堂めぐたま」はその名のとおり、店の両壁面本棚となっていてビッシリと写真集が刺さっている。奥はガラス張りとなっていて、もう暗くなっていたのではっきりとは見えなかったがその向こうはちょっとしたお庭が整えられている様子だ。店内は明るすぎない暖色の照明で照らされていて、なんとも上品でオシャレな雰囲気のお店だった。メニューは、しっかりとこだわりのある素材を使用した、ちゃんとしたお値段のするもので、たまにはこういうまともな食事というのも悪くない。
あまのさんや南條さんの知り合いで20代若者たちの他愛のない会話を聞き流しつつ、美味しいお膳に舌鼓をうちながら、
このカブはサイズ感、色合いからすると「あやめ雪」かな?
ニンジン色が濃いな、けどクセが少ないから金時じゃなさそうだけど、「京くれない」とか?いずれにしても京ニンジン系だよな?
といった感じに、野菜を一つ一つ、つつき回していた。
ボクが1人テーブルの端っこで黙食を貫いていたのを気にしてか、岡本さんが4人展に持ち込んだサツマイモが話題に上がったのを機に、こちらは話を振ってくれたものの、豆知識とはいえない、専門知識に片足突っ込んだような話をしてしまい、ちょっと空気を濁してしまった。
自分の専門性に近い分野の話になると、話を合わせる加減が難しい。

あまのさんが各々からお会計を集め終わったあたりになって、何やら岡本さんがソワソワし始める。どうやらなんらかのタイムリミットが迫っている様子だ。岡本さんと駅前のコインロッカーを共有していた南條さんも席を立ち、なんでかわからないけれども星さんもそれにくっついてワタワタし始める。ボクも、まだ時間の余裕はあったけれども、そこに加わり、あまのさんとその場を共にした若いのを置いて、岡本さん、南條さん、星さんとボクの4人。まずはいったん岡本さんや南條さんの荷物を取りにギャラリー「山小屋」に向かって、店をあとに駆け出した。

夜の渋谷を駆け抜ける。

さすがに短距離走ペースでは走ってはいないけど。
幸いにも「めぐたま」から「山小屋」まではほぼ緩やかな降り坂なので足取りは軽い。途中、道路を渡るのに歩道橋を渡ることになる。特徴的な螺旋階段を1段飛ばしで駆け上がると、ふと、大学在籍時代の記憶が蘇る。

かつて所属していた団体は、運動部ではないけれど、体力勝負のとても体育会系な団体だった。運動部ではないこともあって、専用の練習場というのは確保されていない。けれども、体力作りや型の稽古も必要なので、その都度空きを見つけて申請したり、野外で勝手に活動したりしていた。1日目に大學への目印とした氷川神社の敷地内にある公園もその1つで、氷川神社からのルートを通ると大學キャンパスよりも部活棟の方に出る。
その日、部活棟の部室いや團室といっていたか、に集められた團員たちは体力づくりのためのトレーニングとして、渋谷の街中をマラソンすることとなった。冬至近くの寒い日でもうすっかり日も暮れていた。昔から走るのは苦手なボクはゲンナリしながら、先導する先輩の後をついていった。
ひとしきり走ったあたりで、どこかわからない人気のない公園へと立ち寄った。公園の中を遊具の間を縫ったり変なコースで1周した後、整列させられる。休憩かと思いきや、先導していた4年の先輩が
「今から1年だけでレースをしてもらう。コースはさっき回ったように公園を1周。先ずはプレで1周して、その様子を見て2年以上は誰が1着になるか予想する。外した全員と、1位以外の1年は罰ゲームでこのコース3周。」
というゲームを始めた。
ちなみに言うと、その場にいた1年の中でボクは1番足が遅かった。
なので、プレレースの際は順当に最下位。
その様子を見て諸先輩がたは、1番運動神経が良いヤツや、勝負事となれば俄然張り切るヤツへの指名を集中させた。ボクを勧誘した2年はボクではない勝てそうなヤツを指名していて、「お前ホントそういうとこだからな…」と、呆れたものだ。ボクを指名したのは1人だけ、その理由も「意外性の大穴狙い」ということだった。

その時、ボクの悪戯心に火がついた。

「いいだろう。お前ら全員走らせてやる!」
そう、心に誓った。
そもそも、暗くて道幅が狭いところを走るんだ。さっき1周走って分かったけど、追い抜くための幅があるところなんてそういくつもない。スタート直後にいかに先頭に立つかの勝負なのだ。

結論から言おう。
ボクと、ボクを指名した1名を除く全員、走らせてやった。ざまあみろ。

スタートの時思いっきり集中して、誰よりも早くスタートの合図に反応して先頭をとった。遊具の合間を縫うときや、公園の角を曲がるときはインサイドにあるものに手を伸ばし掴んで反動を使って曲がった。途中、やたら勝負事にこだわるヤツが悔しそうな声をあげるのが聞こえたので、集中力を切らしていなかったボクは、音の方向から遠ざかるように身をかわした。案の定、伸ばした手を空ぶったヤツめがバランスを崩して後続の邪魔してくれた。お見通しだぞバカめ。結果的サポートもあってボクは1着となり、あとの全員走らせた。



“Konstit on monet”,
sanoi mummo kun
kissalla pöytää pyyhki
つい先日ボクの頭に住み着いたフィンランドおばあちゃんは、「やり方なんていくらでもあるのよ」と猫でテーブルを拭きながら言っていた。なかなかのドヤ顔である

「農家速い!農家速い!!」
星さんが後ろの方から必死な声を上げているので我に返る。
どうやら結構置いてきぼりにしている様子だが、気にしない、気にしない。
ボクが容赦なく走り出すと、絶対道を間違えるので、岡本さんのペースに合わせるように、ちょっと前を走っていた。
十字路にかかる歩道橋をどちらに進むべきか、岡本さんに確認する。
…案の定、ボクが進もうとしていた方向は間違っていた。

「山小屋」に到着すると、岡本さんは預かっていた鍵で扉を開けると、自分の荷物を引っ掴んで南條さんと駅のコインロッカーへと向かう。星さんは遅れてやってきて…あっなるほど、鍵開けたギャラリーでお留守番する役割でついて来てたんだ。こんな必死になって。
22時を過ぎても、やはり恵比寿の駅近くは人通りが多い。その合間を縫うように駅までの道を走って、コインロッカーまで向かうと、岡本さんは急いでSuicaで開錠して、大きい荷物を持って挨拶もそこそこに東京メトロ日比谷線の方へと駆け出していった。
南條さんに挨拶をして、ボクも山手線のホームへと向かう。

いやぁ、いい連携だなぁ。
「めぐたま」に残ってお勘定と集った友人知人の引率を引き受けたあまのさん。
息も絶え絶えついてきて、「山小屋」でお留守番する星さん。
共有してた荷物を出すのに駅のコインロッカーまで一緒に走った南條さん。
急ぎで駅まで向かわなければならなかった岡本さんのために、
「ここは俺に任せろ!」
なんて言いながら、ひとりひとりが見せ場をつくっていく少年マンガ定番のアツいストーリー展開のようじゃないか。
岡本さんがなぜ慌てて店を出たのか?その本当のところはpodcast「はたらく!ラジオ第85回を聴いて貰えばわかると思う。

この街には、嫌な思い出もあるけれど、それだけじゃない。そもそも、紫波町に行くきっかけとなったのは、國學院大學に入学して教授の楠原章と愉快な仲間たちと出会ったのがきっかけだ。
楠原先生は、よく「君は君のままでいいんだよ。」ということを若者に伝えていた。自分の講義にゲストとして社会の中でマイノリティに分類されてしまう人たちをゲスト講師として招いていた。楠原先生の輪の中では、みんな対等に話していた。
重度心身障害の子どもたちの意思や言葉を外に伝えようと奔走する、柴田先生にも出会ったな。
短い期間に、個性的な人ばっかりと接触したなぁ。
そうなんだよな、ボクは多分「インクルーシブコミュニティ」ってもう見ていたんだ。
どうりで、言葉で説明しにくい訳だ。インクルーシブとか新しい言葉で定義される前に、もうイメージが先行してあった。だから「アレだよ、アレ。」になってしまって、細かく説明できない。
今、星さんの畑多楽縁で役立てている農業技術もこの頃出会った仲間達から伝っていってたどり着いた研修先で基礎を学んだものだ。

複雑な要素が寄り合い、ボクというものがたりが紡がれて1本の「糸」となる。
HATARAKU畑多楽縁に集まるたくさんの「糸」でより良い居心地を編んでいく。
そういう活動にしてみたい。
そんな希望を抱いてまた、東京を後にする。


1人鍛治橋駐車場へと向かうボクは、東京名物「線路内侵入者救出のための列車遅延」の可能性を全く考慮していなかったために、夜行バス出発7分前に有楽町駅を降りて、短距離走ペースの全力ダッシュした。もちろん東京土産を買う余裕なんてなかったので、夜行バス1回目のトイレ休憩で立ち寄ったパーキングエリアで慌てて、パート先の店長分とみどりさん率いるチェックアウト部門へのお土産を買った。という酷いオチを蛇足として付け加えておく。

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