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あんずジャムっておいしいよね

「案ずるより産むが易し」

なんてこと、誰が言い出したんだろう?
出産は命懸けだし、産後は身体に交通事故並みのダメージが残るのだと聞く。
「ものごとは、実際に行ってみると事前に心配していたほど難しくはない。」
ということの例えとして、ちょっとリスクの方が大きすぎるんじゃないかな?
ボクは男なので、産むという行為はできないもんだから、心配したものと、実行に移したのとを比較したとして、どちらが難しいかなんてわかったもんじゃない。
「案ずるより産むが易し」というのはなんと使い勝手の悪い言葉だろうか。

ところで、街中や駅チカなどを歩いていると季節的にガトーショコラが目につく季節となった。
ガトーショコラは和製仏語といった感じで、日本語にすれば
「チョコレートの焼き菓子」となるらしい。
つまり、和製英語にすればチョコレートケーキになるので、特定のものを指す言葉ではなく、ブラウニーだろうとショコラビスキュイだろうとココア生地でチョコレートクリームのショートケーキだろうとガトーショコラで良いらしい。
クラシック・ショコラのいう言い方もされるが、和製英仏混合後というべきか、なんでも混ぜこぜにする日本らしさが爆発している。
せめて、
クラシック・チョコレートと英語風にそろえるか
クラシッキ・ショコラと仏語風にそろえるかしてほしい。

ガトーショコラでもチョコレートケーキでもどちらでもいいのだが、王様と呼ばれるものに「ザッハトルテ」がある。
チョコレート味のバターケーキを作り、あんずジャムを塗り、チョコレートフォンダンでコーティングするというのがざっくりとした作り方だ。
オーストリアの菓子職人フランツ・ザッハーが1832年に考案したとのこと。
オーストリア帝国の宰相クレメンス・メッテルニヒに仕える料理人であったフランツが「飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れ」という無茶ぶ…要望に対して作り出されたもので、なんとフランツ16歳の下級料理人の時に創り出したのだから驚きだ。それからフランツはメキメキと頭角を表すこととなったらしい。ザッハトルテはフランツのまさしくスペシャリテだった。

一方で、16歳の若さがあってこそというのもあったのかもしれない。
というのも、チョコレートの原料カカオは中央アメリカが原産地、それがヨーロッパへ医薬品とか精強薬として入ってきたのが1544年
それからずっと、砂糖入れたりなんなりと飲みやすくするための改良はされてきたものの、基本的にはなんかデロっとした美味しくない飲み物だったそうだ。
そして時代は下り、
カスパルス・ファン・ハウテン(バンホーテン)がココアパウダーを作り出したのが1828年
ジョセフ・フライが固形チョコレートを発明したのが1847年
アンリ・ネスレとダニエル・ペーターがミルクチョコレートを開発したのが1875年
ルドルフ・リンツがコンチング技術を発明したのが1879年と
フランツ・ザッハーの生きた時代というのは、
カカオ、チョコレートのスイーツとしての利用というのがまだまだ未開発領域の時代だった。

話はまた別方向に逸れるが、1832年のオーストリアというと、フランス革命からずっと膨らんできた自由主義とナショナリズムに煽りに煽られてだいぶ体制がぐらついていたけれども、まだオーストリア帝国であった時代。なのでもちろんチェコも領土に含まれていたりする。けれども、フランツ・ザッハーはウィーンの人なので、その後どれだけオーストリアが細切れにされたとしても、オーストリアの人というのは変わらない。

それから、門外不出のザッハトルテはその考案者の次男が開業した「ホテル・ザッハー」のカフェとレストランでのみ提供されていたが、経営難とかなんとかで資金援助してくれた、ウィーン王家御用達の菓子店「デメル」にもレシピを譲渡したそうだ。その後、ホテル・ザッハーとデメルとが揉めてザッハトルテの商標使用と販売の権利などをめぐって裁判沙汰になったのだが、結局のところ、ホテル・ザッハーとデメル双方に権利があるということが認められた。
けれども、全く同じだと気に入らないらしく、
ホテル・ザッハーのものは「オリジナル・ザッハトルテ」として、あんずジャムを内部に挟む。
デメルのものは「デメルのザッハトルテ」として、あんずジャムを表面にのみ塗る
という違いが出来た。
あんずジャムの塗り方で違いを表すくらい、あんずジャムが味の決め手となっているのだろうか?

しかし、生のあんずは水っぽいというか、けっこう寝ぼけた味をしているというのに、火を通してジャムにすると途端にシャキッとした酸味が現れておいしいジャムになるのが不思議だ。

季節的に「ザッハトルテ」を名乗るものが目につく季節であるのだが、ホテル・ザッハーまたはデメル以外のものは全てバッタもんということになるので、おとなしく、なんでもありの「ガトーショコラ」を名乗っておくのが身の丈というものだ。

…なんでこんな話をしているのかというと、
1月の20、21日に東京都渋谷区恵比寿のギャラリー「山小屋」にて紫波町地域おこし協力隊の仲良し4人組が4人展を開催した。
ボクはその賑やかしのために、呼ばれてもいないのにわざわざ紫波町から東京へ出てきた。主にギャラリーの外にいて、チラッと興味あるそぶりを見せた通行人に話しかけるなどしていた。
4人展の内容としては『私にも、できるかもしれない』と題打ち、
「特になんのゆかりもない紫波という地に飛び込んだ私(4人ともそれぞれ、ひとりひとり別の文脈を持ってやってきている)でもなんとかやってきているのだから、キットあなたも上手くいくよ。」と、自分の進路に迷いを持つ人の背中を押したり、励ましたりしたい。らしい。
ひと言でいうと

「案ずるより産むが易し」

と言っているのだ。
…いや、その割には………
それぞれいろいろ抱え込んで大変そうではあるのだが、まあ、4人各々の経験を見聞きしただけのボクがとやかく言えるものではない。
本人が元気で活発にいきているというのであれば、それでいいのだ。

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