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8000kmと最近の事、

1年の間、色々な事があったがそこまで遡るよりも最近の事から書く方が記憶を辿らずに楽が出来る。
前回のnoteを書いてから随分と時間が経った。
このnoteをするキッカケを作ったゆーこ氏が今年亡くなった。
それを理由にする訳では無いが気持ちが落ち着く迄ここに書くのはやめておこう、とした。
この落ち着く迄という曖昧な期間設定も言ってみれば、気が向いたらと言った所か。

デザイナーならもっと発信しないと、noteしたら良いよという彼女の意見を聞いたものの、あれやれこれやれ、合わなかったら消せば良いと言う事が続いていた。
自分の感想文それ以上以下でも無い物を書く事で、人との接点を増やす事が良いとは思えなかったが良い面もあるよね、と始めたが1年も経ってしまった。その間にゆーこ氏は居なくなった。

今年4月に危篤の知らせを聞いてウィーンからすぐに駆けつけて、病院の近くにホテルを取って通うつもりでいたのが、そんな事をする事もなく、ホテルへ帰る終電を逃したタクシーに乗る自分は東京の夜景をみながら毎日実感が湧かなかった。

彼女が亡くなった時、彼女の関係者の出現によって一方的に知っていたゆーこ氏を多角的に見なくては行けなくなった。
ご家族が知る彼女、自分が知らない交友関係の彼女、そして自分が知る交友関係の彼女である。
生前彼女はどうだった、こうだったと言う類の物で自分が知っていたそれが歪んでいく毎日だったが、これまである程度生きた経験からその全てを遮断し、自分の情報だけに彼女だけに集中する事を心掛けた。
途轍も無く自分の過ごした時間は個人的な物で、過去になった時間にバイアスを掛け直す作業に嫌気がさしたのも大きい。
ふと思ってみればこれは1つのコミュニケーションであるし、とても小さなコミュニティの輪郭を再度意識させ、そして伝えたい人へ向けて正確に伝える為に不可欠なコミュニケーションツールである事、「人には伝わらないのだ」を大前提にし、それからどうするかを考えなければならないと言う事にも繋がっている気がしてならない。

最近、オーストリアで関わった映画が日本で公開された。邦題が「エリザベート1878」
コサージュで良かったやん、と思いつつも日本で公開されたらそれを通じてSAGAN Viennaを知ってくれる人が増えるねと言っていた彼女。生前に起きていれば1番喜んでくれたであろうニュース。

今この時、東京から8000km離れた地に住んで現実から眼を背けている気もする。
それでもラインをすると何時も返って来そうな雰囲気が有るのは、それ程に毎日連絡を取り合って居たからだと思う。

そんな彼女、彼らの短くも強く生きた人生の片隅に少しでも存在できたのであればこれ以上の幸せはないのだ、と言う最近の出来事。

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