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【駄文】作家という不思議な肩書

 私が勉強不足なのかもしれませんが、「作家」という言葉には明確な定義が無いようです。これほど、世間一般に流通しておきながら、定義が無いので、ある意味では「言ったもん勝ち」ということになるのかもしれません。
 そんなこともあり、私は、noteの自己紹介欄で「Kindle作家」と称しています。なんとなく一般的な認識としては、「Kindle出版の経験がある者=kindle作家」と解釈されていそうなので、間違いでは無いと考えています。

 一方で、私なりの認識としては、本来「作家」を名乗るのであれば、それを生業としていることが必要要件かなぁ、とも考えています。そのため、実は、kindle作家と名乗るのには未だに抵抗感を感じています。かつて、駄文を重ねる「駄文屋」と名乗っていたのは、その抵抗感に拠るものです。今も心は「駄文屋」のままです。

 活動場所がnoteだけなら、「駄文屋」で良かったのですが、というか今でも、こうして毎日のように、駄文を重ねています。しかし、創作をするために、「取材的な行動」をする時に、いくら厚顔無恥な私でも「駄文屋」と名乗ることが憚られますで、「kindleで自費出版しているkindle作家です」と名乗らざるを得ないようになってしまったのです。

 過去のnote原稿を確認したところ、「元宮ワイナリー黎明奇譚」を発刊した際に、Kindle出版は卒業しようと考えていたようです。これまでの経験から描ける世界は「書ききった」という達成感・充実感も有していたようです。
 ところが、ところが、その翌年に「恋する旅人」、「黒田製作所物語」「夢見る木幡山」を発刊したことになります。
 真面目な話、自分に対して、「あんた、いったい何がしたいの」と聞きたくなります。ちなみに、商業出版という言葉に憧れはありますが、職業作家ということに憧れはないのです。
「太郎さん、(職業)作家を目指しているのですか」
と聞かれたら、明確に否定します。むしろ、「職業作家にはなりたくない」と応えます。

「好きなことを 好きなときに 好きなように書く」
 最近は、ここに大きな幸福感を感じています。逆に言えば「書きたくないことは頼まれても書きたくない」ので、職業作家は無理だと思うのです。

 何よりも、駄文屋、Kindle作家、商業作家なんていう肩書に関係なく、note街への投稿や、Kindle出版した作品を読んでいただける方がいる。書いたものに、コメントやリアクションをいただける。それが、福島太郎としての喜びであり、存在意義なのかもしれないと考えるようになっています。

 いつもお読みいただき、交流していただき、ありがとうございます。
 そうそう、私が目指すのは「交流作家」でした。新作「光流るる阿武隈川」について、1月8日に「完成」と考え、「チーム木幡山」のメンバーを中心に、数人のクリエイターさんにお読みいただき、御意見や感想をいただいています。

 その結果、なんと、なんと、1月8日以降も、毎日修整を重ねています。
「全然、完成してなかったやーん!」
ということで、ブラッシュアップ三昧です。さらに美味しく仕上がりましたので、一旦寝かせようかと考えています。が、凄いのが出来ました。
 他の方のお力をお借りするのは、書き手としては恥ずかしいことかもしれませんが、昔、読んだ本にこんなことが書いてありました。

『あなたが、努力することを求めているのではない。あなたが結果を出すことが目的ではない、市民サービスが向上するという成果を求めています』
 (公務員のタマゴに伝えたい話 第2集 著 福島太郎か引用)

 ということを踏まえれば、これまで以上に、面白い、読んで良かったと感じていただける作品を目指して、これからも交流作家の道を歩みますので、仲良くしてくださるようお願いします。
 それ、「昔読んだ本」じゃなくて、「昔書いた本」じゃない!
 何を書いても最後は宣伝かーい!ということで

そのほか、いろいろと取り揃えおります。ユメミル作家でもあります。




 


 

サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。