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鍛錬すること

モリシタセイコさんの呟きに刺激をいただいての投稿です。

 以前の上司からの訓示で「皆さんに鍛錬ということを大事にしていただきたい」というお話をいただき、私なりに考え続けているのですが、この機会に表に出して、考えを深めたいと思います。

 大剣豪 宮本武蔵さんに逆らうつもりはないのですが、私のイメージする「鍛錬」とは
「鍛」は自分で鍛えること。基礎体力の向上や筋力トレーニング
「錬」は誰かと一緒に稽古して練り上げること
と捉えており
『鍛錬とは自分自身を体を鍛えるとともに、仲間とともに心技を練り上げ、体力技術の向上を図ること
という意味に咀嚼しています。
 これは、私が柔道経験者だからかも知れません。柔道の創始者 加納治五郎先生の理念として
「精力善用 自他共栄」
という言葉がありまして、柔道は相手に勝つことや、倒すことが目的ではなく、心身を世の中を良くすることに活用するとともに、自分と他者が共に栄えることを目標としています。
 経験的な話として、一人でどんなに鍛えても柔道は強くなれません。力が強くなろうとも、一人で技を練り上げようとしても難しいです。一緒に稽古してくれる仲間がいて、強い人も弱い人も、それぞれの課題を受け入れながら、お互いに高みを目指すことができる道だと考えています。
 相手に怪我をさせたり、嫌な気持ちにさせたりすると稽古ができなくなり、自分も強くなれなくなりますので、自然と相手を敬う気持ちが生まれます。相手を思いやりつつ、互いに強くなろうとする向上心が生まれます。

 鍛錬とはそういう意味なら良いなぁ、という願望のようなものでもありますが、実感しているものでもあります。

 何度も同じ話で恐縮ですが、「公タマ伝」、「お仕事三部作」の電子書籍はもとより、noteの投稿「自分で書いた気がしない」ことが多々あります。リアル、そしてnetでの皆さんとの交流が「錬」に繋がり、自分なりの「鍛」との掛け合わせの成果として、文章を紡ぐことができていると考えているのです。

 未だ道の途中、まだまだ鍛錬が必要な身ではありますが、皆様のおかげで、電子書籍の出版という戦いに挑戦することもできました。売上でいえば
「また、負け戦だったな」
ということになります。鍛錬が足りないということになります。
 しかし、太郎は「まだ生きています」ので終わりじゃない。昨年11月19日に死んでいたら「負け犬の犬死に」になるところでしたが、生き延びることができました。

 鍛錬を継続してより高見を目指します。
「駄文王に俺はなる」
ということで、皆様、引き続き仲良くしていただきますよう、「自他共栄」に向けた「錬」を共にしていただきますよう、お願いいたします。
 今日は拙著の「広告」は掲載しませんがAmazon(webサイト)で「福島太郎」又は「黎明奇譚」を検索していただけたら嬉しいです。  


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