盛岡冷麺について ~ソウルフードとは何者か?~ #下書き再生工場
本田すのうさんの企画に参加です。
#下書き再生工場
お題は「渡良瀬あやめ(Ayame Watarase)」の没ネタからいただきました。
(以下、本文です)
盛岡冷麺とソウルフードの関係性を考える前提としてそれぞれを定義する。歴史や沿革を紐解く力が無いので、経験と思い込みとウィキペディアを背景に私なりに整理するものである。
「盛岡冷麺」…朝鮮半島の冷麺をベースにした盛岡発祥冷麺の総称。生地に小麦粉と澱粉を使う麺、牛骨出汁のスープ、果物載せ、辛味(カクテキ)などが特徴。
「ソウルフード」…①アメリカ南部のアフリカ系アメリカ人の伝統料理②2000年以降の日本では、各地特有の郷土料理
この定義を俯瞰した時に共通して感じるのは「迫害・冷遇・差別」という虐げられた存在からの「逆襲」と「郷愁」ということであろうか。
「在日朝鮮人」「アフリカ系アメリカ人」に共通するイメージは「労働力としての強制連行」「奴隷的環境」というものである。
※個人の印象です、エビデンスはありません。
多くの同胞が人権を侵害され、時に生命の危険に脅かされながら、豊かとは言えない食材を工夫して、故郷に想いを馳せ、家族を守るために創り上げた料理なのではないだろうか。
また、明治維新以後の「中央集権国家政策」の流れのもと、東京一極集中が進み「迫害・冷遇・差別」いう処遇を受け続けた「地方」にも通じるものがあるだろう。労働力、食料、資源を東京に送り続け、東京に富を奪われた地方という存在である。
昭和の終わりに近い、昭和61年に「盛岡冷麺」という名が公式に誕生したと言われている。「わんこ蕎麦」「じゃじゃ麺」などが盛岡の郷土料理として名を馳せていた時代に、日本麺サミットというイベントで「盛岡三大麺」という「売り」を出すために「盛岡冷麺」という名称が公式に登場したと伝えられている。
20世紀が終わりに近い頃から「郷土料理」は「ソウルフード」という名を持って、マスメディアに登場することが増えた。
「虐げられた者たちの逆襲」であり「地方から東京への侵攻」である。時代の節目という大きなうねりを活かし、それぞれの地方料理が持つ「文化」を表舞台に登場させ、市民権を獲得したのである。
日本において多様な価値観を需要する風土が醸成されることと歩調を合わせるように、地方都市の一つである盛岡の、小さな店で生まれた「盛岡冷麺」は全国展開の階段を登り、盛岡の誇りある郷土料理、ソウルフードとしての存在を明確にしたと言えるだろう。
余談になるが「文学フリマ」というイベントが東北で開催されるのは「盛岡」だけである。盛岡という都市の持つ文化的な底力を感じずにはいられない。
私は文学フリマ盛岡に2回出店し、食道園とぴょんぴょん舎で盛岡冷麺を食していることを付しておきたい。
さて、ここまでは「ソウルフード」としての力強い光の麺であるが影の麺にも触れておきたい。「地方特有の郷土料理」というものに価値を与えたのは「在京マスメディア」であり、「商業主義」ということである。
TV番組の企画に困ったメディアが「地方&グルメ」という視点で地方ロケを乱発した。商業面での一定の効果はあるものの、一過性のブームで終わってしまうことや地方文化の尊厳を壊すような行為が多くあったとも言われている。
※個人の印象です、エビデンスはありません。
このような影に耐えつつ「盛岡冷麺」が全国の日本人に愛されるようになり、盛岡の「シビックプライド」とも言える料理として成長したことは、先人たちから受け継がれた「魂」の強さを感じずにはいられない。
「迫害・冷遇・差別」に耐え、存在感を強め、食文化として確立した「盛岡冷麺」には「ソウルフード」という称号が相応しいのである。
最後になるが、ここまでお読みいただいた方にお詫び申し上げます。
本稿を書きながら、ずーーと言いたかった思いがあります。
「お前さぁ、知りもしないでグダグダ グダグダ 騙ってんじゃねぇよ。
美味けりゃそれでいいんだよ。盛岡冷麺は美味いだから素晴らしい。盛岡のソウルフードに相応しい。俺は盛岡冷麺が大好きだ」
それだけのことなんですよね。
#何を書いても最後は宣伝
盛岡出身の女性にインスパイアして書いた物語が、こちらの「恋する旅人」に収録している麺物語、間違えました、メインの物語です。