【創作】高校教諭 渡辺 勝成

 朝のホームルームを閉じる間際に、渡辺が二人の生徒に声をかけた。
「安藤と吉田は、昼休みに職員室に来るように、以上」
 渡辺が教室から去るのを待って、皆がざわめく。
「良かったな」、「おめでとう」という声が、静かに響く。昼休みに職員室に呼ばれるということは、就職先を告げられる儀式であるということを、ほとんどの生徒が理解している。何しろ、その儀式は繰り返し行われており、就職を希望する者で、儀式に参加していないのは、安藤と吉田ともう一人だけである。そのことが、二人の笑顔とクラスメイトの祝意につながっている。
 そして冨塚は、
「二人の就職が決まったことは嬉しいけれど、おめでとうと伝えに行く気持ちにはなれないなぁ。二人とも、私の就職が決まらないことを知っているはず。そんな女の、歪んだような顔を見せられても、気を使わせちゃうだろうしな。もう、早退しようかな。けど、それもちょっとなぁ」
などと堂々巡りで考えていた。
 昼休みまでには、ちゃんと気持ちを切り替えて、安藤君と吉田君を祝福してあげよう。と、言い聞かせて、堂々巡りにケリをつけた。

 昼休み、昼食も食べずに職員室に向かった二人のうち、先に戻った安藤は、右手の拳を胸元で握りしめ、小さいガッツポーズをしながら教室に入ってきた。少し遅れて入ってきた吉田も、慣れないポーズを決める姿が目に入った。二人と仲の良い男子生徒が駆け寄り、ハイタッチをしながら、話を聞き出そうとする。
(二人ともおめでとう。良かったね)
 その黒い塊に笑顔を向け、心の中でお祝いの言葉を伝えたけれど、席を立つ気持ちにはなれず、弁当箱の冷たいご飯に目線を落とす。自分が器の小さい人間であることに、ちょっとガッカリしていると、友人たちを引き連れた吉田が近づいてきた。
「吉田君、おめでとう」
 よし、ちゃんと笑顔で言えたはず。自分を褒めてあげよう、えらい。
「うん。会社が川崎だから、ちょっと遠いけど、頑張るよ。それで、渡辺先生が冨塚に『放課後、職員室に来るように』だってさ」
(もしかして、私の就職も決まったの)
午前中に採用の連絡が入ったのかも。ドクン、と胸が脈打つ。
「ありがとう」
普通に話をしたつもりだけど、声が上ずっていなかったかしら。もし、就職が決まったのなら、今直ぐ話を聞きたいのに、放課後まで待たせたくてもよいのに。と、少し恨めしい気持ちを抱きながら、お弁当箱を手にした。

 職員室に入ると、直ぐに少し硬い表情の渡辺と目が合った。何だか嫌な感じがする。
「悪いな、急に呼び出して。早く話をしたくてな。
………単刀直入に言う。学校に来ていた求人が全て埋まった。いくつかの会社に、『もう1名の枠』を相談したが、女性の工員は、受け入れて貰えなかった。力不足で申し訳ない。残念だが、学校としては、もう何もできることがない」
 渡辺は大きく頭を下げた。声が震えているような気がする。こんな渡辺先生の姿を見るのは初めて。先生、泣かなくても良いですよ。就職浪人しても、1年遅れで進学しても良いと両親は言ってくれていますので、1年かけて、ゆっくりと進路を考えてみます。
 様々な金属を繋ぐことができる、魔法使いみたいな溶接工になりたいという子どもの頃からの夢を、一年で諦められるかはわかりませんけど。諦めきれず、悶々とした人生を歩むかもしれませんけど、先生の力不足とか、誰かが悪い訳とかじゃないです。
 あーぁ、新聞の記事で、高校生の就職率がほぼ100%と掲載されていたけど、私は100%に入らない人間か。数字になれない存在か。確かに、クラスの中で進路が決まらない最後の一人だし、もしかしたら、学年で最後かもしれない。これは、身のほど知らずの夢を見てきた罰なのだろうか。現実として叶えられないから、夢と言うのだろうか。
 何も言葉にすることができず、黙って、下唇を噛む。無意識のうちに、両手が拳を造る。
「で、相談だ。お前の履歴書と成績表を、先生の知り合いの社長に見せてもいいか。次年度の採用を予定していない会社だし、学校として独自に企業に接触して、就職の斡旋をすることは禁じられているから、就職活動ではない。
 市内にある鉄工所の社長に、先生が個人的に、こんな生徒がいる。という話をするだけの話だ。偶々、手元にある資料を見せるということになる。
ただ、もし、その社長がお前の採用に興味を抱いてくれたら、後はお互いの話になる。そして、会社のことは信用して良い、先生が保証する。
 大きな会社ではないし、一般的には有名とは言えないが、50年以上もの間事業を継続し、技術力は業界屈指、いい仕事をするいい会社だ。と、先生は考えている。その社長に、お前のような優秀な生徒がいることを、お伝えしたいと考えている」
硬い表情のまま、静かに話す。
「そこに、就職できる可能性は、ありますか」
「可能性があるとは言えないが、0ではないと思う。採用ルールを踏まえれば、こちらから就職したいと、お願いするわけにはいかない。言外に、
「溶接工として採用して欲しい」
という意図を社長に汲み取っていただき、会社として採用枠を設け、さらに、お前が採用試験を受けて合格するという、宝くじなみの幸運に期待するしかない。しかし、可能性が0ではないと信じたい。他ならぬ、お前ならできるかもしれないと、期待する気持ちもある」
「そんなことをして、先生のお立場は、大丈夫なのでしょうか」
渡辺の表情が緩む。
(自分の進路が決まらない苦しい時でも、人を思いやる気持ちを忘れない。成績が優秀なだけじゃない。溶接技術のセンスが良いだけじゃない。お前は、良い職人になれる大切な資質を持っている。だから)
「まぁ、公立高校の教師として、特定の生徒に肩入れし、特定の企業に借りを作るような行動は褒められたものじゃないな。けど、お前を工員として就職させることができずに終わったら、俺は一生後悔する。この話は、お前のためと言うより、俺の足掻きというか、我儘なんだ。自分はできるだけのことをした、と納得したいために、お前を利用しているとも言える。だから、心配はしなくていい」
 きっぱりと応えた渡辺を見て、冨塚は自然に小さな笑顔を浮かべながら、言葉を重ねた。
「ありがとうございます。なら、私も、一緒に行かせていただけませんか」
 少しでも可能性があるのなら、未来は自分で切り拓きたい。
「ちょっと待て」
 渡辺は、冨塚を抑えるように上げた右手を顎に寄せてから、少し俯いた。
「確認するが、あくまで世間話に行くだけだから、こちらから就職のお願いはできない。そこは大丈夫だな。まぁ、こちらの下心はバレバレだろうから、そういう意味では、お前を見ていただけるよう、一緒の方が良いかもしれない。
 しかし、相手がある話だから、放課後に訪問できるとは限らない。採用試験ではないから、公休扱いにはできない。先生は有休を使うが、お前が私用で早退すれば、皆勤賞が消える。そこのところは、両親と相談した方がいいだろう」
「是非、同行させてください。可能性が0じゃないのであれば、私に我儘を言わせてください。自分にも足掻かせてください。お願いします」
冨塚は深々と頭を下げた。目に溜りつつある涙が零れないことを祈った。
「わかった。けど、お前、会社名も聞かずに決めていいのか」
冨塚は、満面の笑みで答えた。
「先ほど先生が、よい仕事をする会社とおっしゃいました。信頼している渡辺先生が信用する会社の一員となり、良い仕事ができたら嬉しいです」
 渡辺は、両手をポンと膝に置き
「わかった。アポが取れたら、一緒に社長に会いに行こう。黒田製作所という、郡山中央工業団地にある会社だ。ウェブサイトは閲覧しておいてくれ」
「わかりました。それでは、失礼します」
 冨塚はお辞儀をすると、渡辺に背を向け、軽やかな足取りで職員室を後にした。
 まだ、何も決まったわけじゃないけれど、自分のことをここまで考えてくれる人がいる。未来への光がある。そう考えると、心に沸き立つものを抑えることができなかった。

 郡山北高校の卒業式、皆勤賞の受賞者名簿に「冨塚 恵」という名前を確認することができた。
 卒業式まで、残すところ数日となった職員室で
「自力で見事に就職を決めたのです、その就職活動をしたという2月の早退は、「公休」に変更すべきです」
 熱い口調で主張した渡辺を前に、教頭と校長は、黙って書類に判を押したという話が、校内で噂されたと聞く。

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