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【駄文】色即是空

 きちんと仏教について学んだことがないのですが、最近「天上天下唯我独尊」とか「吾唯知足」などの言葉をもて遊び、あまつさえ昨日は、ある方へのコメントで「色即是空」まで使用してしまいました。こんなことばかりしていると、仏さまに叱られるかも知れないと恐れつつ、今日も駄文に励みます。
 私から「色即是空」を引き出した記事は、こちらです。読んでいただくと、この後がより楽しめると思います。みとんさん、いつもインスピレーションの種をありがとうございます。

 先ほど触れた仏教用語については、然るべきところで然るべく学んでいただければと存じますが、本稿では色即是空について「色とは形あるもの」、「空とは形がないもの」、「即是」が「分けられない」程度の理解で進めます。二元論的には「形」の「有無」で捉えることができるけれど、それは本来分けられないものであり一体である。と考えると「光と影」、「善と悪」「幸と不幸」など、様々な事象について、少し深く考える視点が持てそうです。
 例えば文章においても「目に見える文字」と「目に見えない行間」が一体として存在することにより、その真意が存在するのかも知れません。

 さて、文章と言えば、池波正太郎先生の小説でも、このようなことを彷彿とさせる台詞が何度か出てきます。代表的なものとして、鬼平犯科帳シリーズの「谷中・いろは茶屋」から引用します。

『人間というやつ、遊びながら働く生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ』

 ということで、善の中に悪があり、悪の中に善がある。ちなみに「善事」という言葉からは「ゼンジー北京」さんをイメージしてしまう訳ですが、本稿では割愛します。
 また、石ノ森章太郎先生の漫画版「キカイダー」では、「不完全な良心回路」を持つキカイダーの体内に「悪魔回路」が埋め込まれ、『これで僕は人間になった』という趣旨の発言をしていた記憶があります。善悪というも不可分な存在なのかもしれません。
 人間も、目に見える肉体的なものと、目には見えない精神的なものから構成されており、さらに心うちには「善悪」を含む様々な要素が一体としてありますので、「色即是空」というのは、世界の真理を表現する言葉であり、人間そのものを表しているのかもしれません。このように考えを深めていくと、川ノ森千鶴子さんの言葉を思い出します。見えないものを観ようとする心が、人には必要なのかもです。

『ほんとに大切なことは目に見えない、けれど、見ようと思えば見える。そういう気持ちで見れば見えるのだ』
(川の森千鶴子さんが書いた『黒田製作所物語「あとがき」』から引用)

 私程度の者が騙るのも何ですが、人生なんてものは、話が二転三転して四面楚歌となり、五臓六腑に痛みが走ったり、七転八倒したり、答えに窮したり、いろんなことがありますが、その中には、必ず光もあるはずと信じたいと考えています。しかもそれは遠くにあるのではなく、足元や胸の中に転がっているのかもしれません。
 ふざけながら真面目に考え、真面目な話をしながら言葉遊びをする福島太郎の駄文スタイルも
『「色即是空」を実践しているのです』
なんて言うと、格調高いと思いませんか。え、思わないですか。失礼しました。

 この光を探したり、見えない大切なものを見つけるために必要になるものが「智恵」ということになるのかも知れません。そして「生老病死」という四苦を前にしても、「智恵」を使うことで「笑朗幸嬉」という位置に、心を上げることができるのかもと思うのです。
 先ほど御紹介した「石元みとん」さんのお母さんは、その優しい智恵で、娘を救おうとしたのかも知れません。そして、その優しい心が「石元みとん」に受け継がれているから、心を打つ文章を生み出すのだろう、と納得いたしました。父から受け継がれた智恵を持つ「ミーミ―さん」もそうかも知れません。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。「笑朗幸嬉」は仏教用語でも何でもない、創作駄洒落です。間違えてもYahoo!でググったりしないでください。そして、何の脈絡もなく宣伝のリンクを貼っておきます。
 今月は「公タマ伝」と「第2集」しか読まれていません。皆さんの優しさを分けてください。



 


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