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#忘れられない旅 第4話 1990年5月 横浜 

 人生は旅のごとし。ということで、古い話が多くなり恐縮ですが「旅」の思い出として人生を振り返ります。
#忘れられない旅

 第4話 1990年5月 横浜
 人生のほとんどを福島県郡山市で過ごしていますが、1988年4月から1993年3月までは「横浜税関で勤務」していました(東京8ケ月、横須賀1年、横浜3年4ケ月と住まいは転々していました)。この5年間というものは長い旅をしていたような気もします。
 第4話からは、そんな横浜という旅の時代のお話を綴ります。

 18歳から勤務していた横浜税関ではずっと「監視取締部門」に所属していました。当時の税関には大きく4部門しかなく「総務部・輸出部・輸入部・監視取締部門」になります。稀に「税関24時」みたいな密着報道番組とか空港での手荷物検査の場面とかをメディアで御覧になったり、実際に海外旅行などで税関への申告や検査をされた方もいるかと存じます。

 空港ですと「旅客」ですが、横浜港では「貨物と船の乗組員」が主たる相手となりますし、事件がそうそう起きるものでもありませんので、端的に言えば「退屈」な仕事が多く、「船や乗組員の捜索・検査」「乗組員への職務質問・手荷物検査」「貨物の検査」などに従事していました。
 極稀にですが乗組員を尾行することもありました。

 さてそのような職務なので外国人乗組員との会話も必要になります。研修で英語が必須、さらに中国語か韓国語を選択して研修を受ける仕組みでした。
 私は中国語を選択していたのですが、何の拍子か
「もう少し本格的に勉強しなさい」
との業務命令を受け、同期と2人で民間の中国語教室で短期研修を受講することになりました。
 研修帰りのある日、私は同期に提案しました。
「俺たち中国語はまだまだだけど、英語の日常会話なら何とか行けるじゃない。シンガポールは公用語が英語と中国語らしいのよ。研修の成果を試すために、一緒にシンガポールに行かねぇ」
 同期も軽いノリで賛意を示し、私たちは伊勢佐木町の丸井8階にあったJTBの窓口を訪問しました。今と違いインターネットの普及前なので自分でネットで調べたり申込みをすることはできません。全てがアナログな時代でした。

 キチンとした制服に身を包み、にこやかに応接してくれる女性に、私たちは「シンガポール旅行を希望」という旨を伝えました。カウンターでの女性は、目を丸くしながら
「えー-っ、男性2人でシンガポールですかぁ。何も面白いところないですよぉ」
と笑顔で教えてくれました。私は同期と目をシロクロさせながら
「えっ、じゃぁ、何処が面白いんですか」
と尋ねたところ
「タイですねぇ、見どころイッパイですよ」
と笑顔イッパイで教えてくれました。私と同期は一瞬のアイコンタクトをしてお互いの意思を確認し
「じゃぁ、タイのパンフレットを見せてください」
と女性に申し出しました。

 当時の私たちの学習意欲なんてものはそんなものでした。

 数日後、JTBの窓口でお金を支払いタイ旅行の申込みをしたのでした。

 第5話 タイ旅行編に続きます。(多分)

 

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