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【実録】2010年6月 東京丸ノ内の100本キュウリ

 電話で話をしていた福島県東京事務所の農業担当者が、悲鳴にも似た声を上げた。
「なんですってー、そんなの、うちでも何ともできないですよ」
 受話器を置いた後、周囲に呼びかけた。
「現在、八重洲の観光交流館で須賀川市役所の方が物販をしているのですが、発注ミスにより、「キュウリの浅漬け」が100本以上売れ残りそうだ、とのことです。御協力できる方は、帰りに八重洲に寄っていただけないでしょうか」
 そう語る、同僚は「俺は行かんけど」という目をしていた。勤務終了後では間に合わず、行くのなら早退するしかない。単身赴任の職員ばかりなので、買いに行ったとしても、2~3本購入するのが関の山、事務所総出でも20本~30本。そして公務員宿舎は高円寺なので、永田町を挟んで反対方向。条件が悪すぎた。須賀川市役所の方には申し訳ないが、自分達で処理して貰うしかないだろう。そんな空気の中、課長に申し出た。
「帰り足で、八重洲に寄ろうと思いますので、1時間ほど早退しても良いですか」
 生粋の県職員ではない私は、県の公務員宿舎ではなく、八丁堀駅の近くに住んでいた。八重洲に立ち寄ることは、そう難しくない。
「太郎さん、悪いね。頼むよ。もし、あれならキュウリ代は俺が出すから」
課長からのキュウリ代は固辞して、八重洲に向かう。観光交流館の入口では、須賀川市役所の職員と思われる方が、キュウリの浅漬けが入れられたタライを前に、力なく声を出している。

「お疲れ様です、福島県東京事務所の太郎と申します。キュウリを買いに来ました」
「何本、お買い上げですか」
「何本、残っています?」
「在庫は102本まで、減りました」
八重洲交流館が閉店するまでは、あと30分しかない。
「じゃぁ、これから買いにくる方には申し訳ないですが、全部いただいてよろしいですか」

「‼ ⁉ ???、全部ですか?」
「はい、102本全部です。1万と200円ですね」
キュウリの浅漬けは1本、100円との値札が掲げられていた。
「こんなに購入して、どうされるんですか」
「柔道仲間と食べたいと思います」
おまけとして、1万円にしていただき、「くまだパン」もいただいた私は、柔道の稽古場がある、丸ノ内へと足を進めた。
 須賀川市役所の方々にとって幸運だったのは、その日は、私が所属している「丸の内柔道倶楽部」の稽古日だったこと。柔道仲間が60人くらい集うことが予想されていた。
 私にとって不運だったのは、キュウリの量を想定していなかったこと。柔道着を入れたデイバックを背負い、両手にキュウリの浅漬けが入った大きな紙袋をぶら下げて、八重洲から丸の内に向かう時には
「俺、東京のど真ん中で、何をしているのだろう」
という疑問を抱かずにはいられなかった。

 稽古後のミーティングの時に、倶楽部の仲間にお知らせした。
「6月から入部させていただいた、福島太郎です。今日は名刺代わりに、地元のキュウリの浅漬けをお持ちしました。人数分ありますので、1本づつお持ちいただければと存じます。もちろんお金は要りませんので、水分と塩分補給にお役立てください。福島県はキュウリの露地栽培、全国一の生産量という特産品なのです」

 倶楽部の仲間には大好評で、新参者の「福島太郎」の顔と名前を憶えていただくことができ、その後の交流につながる礎となりましたので、1万円分のキュウリは、安い買い物だったと考えています。
 翌朝の東京事務所でも、10分くらいはヒーローとして、もてはやされたのも良い思い出です。

 今回の記事は、note街の同志と勝手に慕っている、K_maruさんの記事にインスパイアしての思い出話でした。繰り返しになりますが、あの時、キュウリを投資したことにより、私の認知度が高まり倶楽部の方々から可愛がっていただけたかと思うと、非常に費用対効果が高いキュウリでした。
 皆さんもキュウリで幸運を掴みましょう。

 2010年から2年間の東京生活は、単身赴任というよりも、長い旅をしていたのかもしれません。そんな2年間の旅を活かして書き上げたのが、「恋する旅人」です。レビューだけでも読んでください。


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