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呼称の話

 偶に真面目な話をします。「舟木りこ」さんの「つぶやき。」インスパイアです。

 さて、皆様にお願いがあります。
 できればですが、私のことは「福島」ではなく「太郎」の方で呼んでください。敬称はお任せします。呼び捨てでも「ちゃん」でも「さん」でも「君」でも構いません。
 自分で着けたペンネームなのに我侭ですが、「福島」は「地名感」を強くて「氏名感」に欠ける印象を受けてしまうのです。何となく名前呼びの方が親しい感じもします。皆さんと親しく交流したいです。村人と仲良くしたい赤鬼の気分です。

 ちなみに、リアルの世界におきましては、基本的に老若男女を問わず「苗字役職」又は「苗字さん」を呼称として使用しています。
 太郎の職場におきましては、年下の男性に対しては「苗字」、女性の職員に対しては「苗字さん」を使用している方が多く、また、年下や女性について「名前君」、「名前ちゃん」「名前さん」を使用する方も散見されるのですが、私としましては、年齢や性別、また個人的な感覚で、公的な場所といえる職場において呼称を変えることについては、違和感を抱いてしまうのです。ある意味ではハラスメントになるのでは、と考える面倒なオッサンです。

対等な社会人として、公平に対応したいです。

 なお、昔読んだ小説「カムイ伝」によれば、「君主」、「下僕」という言葉を由来として「君」「僕」という呼称が生まれたという話もありますので「君」というのは、相手を敬う敬称になるのかもしれませんが、感覚的には、目下の者に対する、少し見下ろした呼称のように感じています。繰り返しますが、年齢、性別に拠らず、

 一人の人間として、敬意とともに接したいです。
なんてことを考えてしまうのです。
 自分と異なる人は、自分には無いものを持っていますので、年齢性別に拠らず敬うべきところだと思うのです。もちろん、他者に強制したり矯正したりする話ではありませんので、他者にそれを求めることはありません。
 しかし、自分自身のことは「名前」で呼んで欲しいという、この矛盾。
 ちなみに、定番の小話で、
「Please call me a taxi」(私をタクシーと呼んでください)
の話が大好きだったりしますので、皆さんにお願いします。
「Please call me Taro」

 なお、本日、本当は舟木さんが投稿された「フリー絵描きの人件費と利益について考える」という投稿について、

 共感する部分や考えさせられる部分があり、感想をコメントしようかと考えたのですが、プロ(本気)のイラストレーターさんに、プレイで投稿している素人が語れることはおこがましく感じ、コメントを自粛しました。
 しかし、舟木さんと関りを持ちたく、その前に投稿されていた「つぶやき。」をインスパイアした記事を作成したとろです。
 この投稿に興味を抱いていただきましたら、舟木さんの投稿を御覧いただければと存じます。

 そして、拙著を読んでいただけたら嬉しいです。
  I want  to read this book!


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