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ヤングケアラーだった話

ヤングケアラーをご存知ですか?
通学や仕事のかたわら、障害や病気のある親や祖父母、年下のきょうだいなどの介護や世話をしている18歳未満の子どもを指す。(Wikipedia)

ヤングケアラーという言葉があることは先日知ったのですが、私はヤングケアラーでした。それが今の私に与えている影響は本当に大きいと思います。

高校時代、父は単身赴任で母と2人暮らし。母はうつ病です。いつからかは忘れましたが随分と長い付き合いになります。
私は進学校に通い、大学も京都大学を目指していましたので、毎日とにかく勉強していました。勉強してもしても足りることはなくて、夢中で勉強していました。部活も吹奏楽部で副部長で毎日そちらも一生懸命取り組んでいました。
母の病状はというと、希死念慮(死にたいなどという気持ち)はないものの、疲れやすく日々の家事は全てをこなすのは難しい状況でした。
部活で疲れて帰ってきて、「ただいま」と声をかけても返答がなく、キッチンで夕飯の支度ができずに座り込んでいたり、布団で寝込んでいたり。
毎日今日は夕飯作れているだろうか、倒れていないだろうかと玄関の扉を開けるのは緊張して、ひと呼吸してから帰宅していたのを覚えています。
母の調子が悪いと、本当はがっかりしますが、そんな時はいつもよりも優しく明るくいないと母の様態が悪くなりますので、「後はやるからね、ゆっくりしていてね」と声をかけて夕飯の続きを作ったり、食器洗い、風呂洗い、掃除などあらゆる家事は私がしていました。
周りの子は帰ったらご飯があって、その後勉強に集中できるのに、なんで私がと感情が込み上げて、母に隠れて泣きながら勉強したりもしました。毎日職員室に通って担任の先生に泣きついて愚痴ったりもしていました。家事をした分2時や3時まで勉強をし、また朝登校する、という毎日。
これに耐えることが出来たのは、将来看護師になるから母1人の世話くらいできないと、という気持ちでした。この頃看護師に対する憧れがとても強く、母がしんどくてお風呂に入れない日は看護師になりきって体を拭いてあげたこともあります。
そして高3の夏休み、母が肺炎になります。救急車で運ばれて、遠方にいる祖母が駆けつけてくれるまで私は1人で生活することになります。祖母と2人暮らしになっても、私は勉強する傍ら、母の病院に通い母の髪を洗ってあげたり、洗濯物を届けたり、一緒にご飯を食べたり、思いつく限りのことをしました。その時も病棟の看護師さんがかっこよくて、やっぱり私の目指すものはこれだと思った覚えがあります。
その後母は退院し、私も大学に合格し、父も実家に転勤になり戻って来ることになり母の病状は今は随分とよくなりました。
世の中には片親世帯でヤングケアラーだったり、介護や世話のために就職や進学を諦めたり、収入が十分になく大変な思いをしている子どもが多くいるそうです。私はずいぶん恵まれた方だと思います。
看護師になってより強く思うのは健康なことは何よりの財産ですし、親が元気でいてくれる事も本当に幸せなことだと思います。
私が大人になった分親も歳をとってきましたし、親孝行していきたいものです。

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