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幻の日本記録

いよいよ、あす、8月14日(土)。

東京選手権。

東京のナンバーワンを決める大会。

出場されるみなさんは、己の記録だけでなく、順位もこだわってくると思います。ゆえに、"選手権"。

一方、私は、上位を狙う気持ちがゼロではありませんが、私の戦いは、極めて個人的なものになります。

M45(45〜49歳)の日本記録を更新すること。

詳細は省きますが、3月下旬に出した記録(3000m障害、9分59秒09)は、それまでの日本記録を5秒以上更新していました。

しかし、主催者の不行き届きで必要書類がそろわず、日本記録と認定されませんでした。

私としては、青天の霹靂で、それまで費やしてきた5カ月間を思うと、残念で、悔しいものでした。

一方、そこで立ち止まっていても何も前に進まないことも分かっていました。46歳にとって、精神的、肉体的停滞は、結局のところ自分に還ってくるので。取り戻すのが大変という意味で。

モヤモヤした気持ちのまま、4月下旬に練習の一環で出場した3000m障害のレース中に肉離れ(完走)。翌月に控えていた東日本実業団選手権は、2週間の療養を経て数日ジョグしただけで参戦。結果は推して知るべし、でした。

時計の針が少し戻ります。

今、"サンショー"(3000m障害)に注力している直接のきっかけは、昨年10月の東海大競技会でした。この時、思いのほか走れ、立てた目標がふたつ。

①M45の日本記録

②東京選手権の出場(標準記録10分00秒)

つまり、9分台を出せば両方かなうため、9分台にこだわって出したのが9分59秒09だったのです。

細かい過程の話ですが、この記録を出した時点で5月の東京選手権のエントリーは終わっておりましたが、コロナ禍により延期になり、8月開催が発表されたのは6月下旬でした。

3月に記録を出してから、紆余曲折ありましたが、目標のひとつだった東京選手権出場が転がり込んできたのは、幸運かもしれません。

さて、話は戻りますが、こうして手に入れた東京選手権の出場権。

出場が決まってからは、自分のウィークポイントから眼を背けず、練習計画を立てて、こなしてきました。当初想定していたタイム(冬季に実施していたタイム)では、ほとんどこなせませんでしたが、暑さが理由だと考えているので、あまり気にしないようにしています。

明日は荒天予報で、キビシイ戦いになりそうです。それでも、灼熱のトラックを走るよりはましかな、と。

駒沢競技場、15時00分号砲。

2本の脚と、ひとつの心臓をフル回転して挑みます。

苦しくなったら、支えてくださるみなさんの顔を思い浮かべて乗り越えます。

TARO

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