わたしはきょうもいきてきました

吉田拓朗ちゃんの歌がふと、頭をよぎる。中学校時代、フォークソング全盛期のころ、ともだちと、、わたしはきょうもいきてきました♬とかぁ、にんげんなんてらぁらぁらぁ~♪♪とかぁ、ぼくらのたくろうちゃ~ん♪♪♬とかぁ、結構悩みあり悩みありの少年時代いえ、学生時代、いえ、今でさえそう、みんな少なからずなやみもってんだよなぁ~、そうそう、昨日のニュースなんだけど、小学生の自殺者が過去最高に達した、ごめんなさい、達したという言い方はないよね、そんなはなしがながれてきた、そうか、齢(よわい)60前の私からみると、そうなるのもすこし、ふにおちる、経済至上主義で全てお金で価値を決めてしまいがち、でも、しかたないよね、お金がないと今の世のなか、生きていけないのはだれだってわかっている、でも、そこを敢えて否定し、別の生き方、いや、対極にある、人間至上主義でいきてみるのも面白い、いえ、やりがいがあるといったほうがしっくりくる、つまり、ようするにだね、お金で他人を惹きつけるのではなく、人間力で惹きつける訓練をしている自分がいます、人間力ってなんだろう、サラリーマン金太郎のようなあのイメージ、私の教え子が、先生!あれは非現実的な話だよって、そうなんだ、今の私には全然、そうおもわないのだがとおもいながら、はんろんはせず、そのこをその気にさせるためにはなにをしたらいいんだろうってかんがえる、にんげん、イメージ力だとおもうんだよね、イメージ力をつけるためには、数学がいちばんいいんですが、きっと、数学アレルギーの御仁もたすういらっしゃるかとおもいます、これは、学校での数学の教え方が知識偏重すぎ、いえ、おしえている先生さえ、たぶん、知識として、あるいは、受験のために数学をまなび、そして、教鞭をとっているんだとおもう、だから、数学の面白さが生徒や学生につたわらないのはごく自然なことなのかもしれない、数学は、数の学問ですよね、どうして、10進数なのとかこの世は、周期で成り立っている、周期ってひとそれぞれちがっていいとおもうし、必ずしも10進ではないし、7進、31進、60進、とか色々あるけれど、結局1という概念について、深く考えたことがないのではとおもう、1というのは単位が色々あるように他人によってそれぞれだとおもう、それをふかくかんがえていけば、人間個々人でひとつのことをその人の尺度、単位があってそれに従って行動すれば、なやむことはない、でも、経済至上主義は、ある標準の基準、尺度にあてはめて人間社会をとらえてしまう、だから、悩んでじぶんのいのちを自らの手で絶つことがおおくなってきている、もう一度、じぶんの周期、単位、つまり、1って何だろうってかんがえること、思索することから始めた方がいいのではとわたしはかんがえる・・・

わたしは、きょうまでいきてきました、1という概念をじぶんなりにかんがながら、何をもって1とするのか、五体満足をもって1とかんがえるのか、5体満足でなくとも、なにか、じぶんにできなこと、他人と差別化をはかることのできる能力をもって1とするのか、よ~くかんがえてみよう!


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