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【白昼夢の青写真 case1 二次創作 第2話】

授業はいつもどおりつつがなく終わり、帰宅の準備をする。今日は私の誕生日らしい。42歳になっていたようだ。
お経のように定型句を唱え、機械のようにチョークで黒板を叩く変化のない暮らしは、年月の経過の認識をも曖昧にする。

大学の同級生と結婚し、非常勤とはいえ講師として働き、家も買った。上を見ればキリがないが、客観的に見れば、決して恵まれていないわけではない。しかし、言いようもなく満ち足りない。

祥子からは「誕生日おめでとう。」とだけ書かれたLINEが届いた。ここ何年かは、ずっとそうだ。本来居るはずの人が居ない家は、私には広すぎる。だから、ひとりファミレスで本を読んでいる。

最近仲良くなった渡辺も、今日は用事があるらしい。こんな日は、渡辺の軽口でも聞いていたい。胸ポケットのたばこに手を当て、渡辺にとられたたばこの数を思う。苦笑いでも笑えた。

祥子は、それなりに優秀な編集者らしい。10年以上前だろうか。彼女が担当するようになった、まだ名の知れぬ作家の作品が、急に売れた。中世イギリスを舞台にした作品らしく、ドラマにもなり、売れっ子の女優が主演を務めた。派生作として、当時は珍しい朗読劇にもなった。
祥子が中心となって企画をして、作家が続編を描き下ろした。未だ映像化されないその続編は、今も一部で伝説になっている。

当時、祥子はとても楽しそうだった。「あなたにも一度読んでほしい。」「先生と2人で、一生懸命頑張ったの。絶対、面白いから。」と、未だ鳴かず飛ばずだった私に言った。私の原稿に対するコメントは、長らくなかった。

これ以上ない屈辱だった。わたしの作品は、とるに足らないものか。面白くもできないほど、つまらないものか。祥子にそんな気はなかっただろう。しかし、自分の人生を、全人格を、頭から否定された気がした。

はじめて、祥子を怒鳴りつけた。本は原稿と一緒に、ゴミ箱に叩きつけた。祥子は一瞬ギョッとしたが、謝ることもなく、静かに、その切れ長の目で私を睨めた。祥子とのあいだに決定的な隙間風が吹き始めたのは、それからだと思う。

ここ何年か、つまらない毎日を過ごしている。なんにも楽しくない。40年あまりの人生は、本を読むことにのみ捧げた。隠れて書いている小説は、いよいよ箸にも棒にもかからない出来映えになり、最後まで書くにも至らず、当然、出版社に持ち込むことも叶わない。いつしか、意欲も好奇心も、自信や自己肯定感をも失っていることに気付く。

「こんな空虚な思いをするために、私の人生はあったのか。」自分を棚に上げて、そんなことばかりを考える。波多野秋房なら、考えもしないことだろう。コーヒーをもう1杯注文する。

祥子のことは、確かに愛していた。ただ、現実に馴染むことも現実を受け入れることもできず、大人になっても中身が幼いままの自分を愛してくれた祥子の気持ちを、わたしは創作の苦しみを理由に、正面から受けられずにいた。救いの手は、ずっと側にあったのだ。

わたしが、もっとちゃんと普通の人間だったなら。波多野の幻影に怯え、劣等感や無力感に苛まれ、孤独を深め、それでも創作に向かい合わねばならぬ痛みを、祥子に伝えることができていたなら。祥子なら、救ってくれたのではないか。不安定で弱い私に、力を与えてくれたのではないか。わたしの作品を読みたいと言ってくれた、祥子ならば。

「自分の感情に、小さな悲鳴に、鈍感になるな。」と過去の自分に言いたかった。しかし、その言葉を伝える相手はいない。

現実は厳しい。私も、私の小説も、誰にも必要とされない。誰の心にも届かない。誰の役にも立っていない。この世界に残るものは何もない。何も変わらない。

波多野秋房になんか、なれやしないのだ。

閉店を告げる曲が店内に流れる。祥子には、事務的に「ありがとう。」とだけ返信した。退店間際、顔見知りの店員に「また来てくださいね。」と言われた。客単価の低さを自覚する私は、少し苦い思いをしながら「ありがとう。お疲れ様。」と返した。

「いつもお疲れ様」
「頑張ってくれて嬉しい」
「君がいてくれてよかった」

こんなことになる前に、世間の普通の夫たちのように、そんな言葉を祥子に伝えていれば、少しは違っただろうか。違う今があっただろうか。

少し寄り道をして、家に帰ってきた。もうすぐ、誕生日は終わる。祥子はまだ帰らない。

「誕生日、か。」

日付は変わり、42歳の最初の1日が終わった。
祥子からは、今日は会社に泊まるというメッセージが届いた。
私たちが終わる、3年前の話だ。

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