今と昔のゲームとの付き合い方。
ゲームを中心とした話題のツイッターアカウントをメインに活動をしていて、そのツイッターのタイムラインを見ていると、おそらく自分よりも年上の人はほぼおらず、年下の人等のゲームとの付き合い方を目の当たりにして【時代は変わってしまった】のだなーとしみじみおじさん風を吹かせてしまう。
【幼少期編】
昔はゲームをしている=悪とも言わんばかりの叱られ方をしたことも多々ある。
ゲーム=悪は言いすぎかもしれないが、ゲームをしている人=煙たがられる存在は確実にあっただろうと言える。
子供の頃のゲームとの付き合い方を思い出してみる。
私が初めて触ったゲーム機は、ファミリーコンピュータ。
そうファミコンである。
ファミコンは自分が子供の頃、爆発的なブームを巻き起こして履いたがゲームソフトは今と比べれば当時はそれほど多くなく、選択肢が狭かった。
一番最初はドラゴンクエスト1だったのだろうが、記憶に残っているのが仮面ライダー倶楽部というアクションゲームだ。
知っている人はおそらく少ないだろう。
今では安定のアンパンマンなどがあったが、ファミコンと同時にブームを起こしていた仮面ライダーに私は熱中していたと親から聞かされた時に納得がいった。
ゲームプレイは親から聞くに目を見開いて「大丈夫化こいつ?」と思うくらいに熱中をしていたらしい。
ゲームをプレイしている=テレビを占有している状態は、熱中しすぎた私を親からしても看過できなかった。
なぜなら一家に一台しかテレビがなかったからだ。(周りの家も大半が一家に一台だったと思う。)
私は母子家庭であるため、母親がボスなのである。
ボスは、夕食時に決まってみたいテレビ番組を把握しており、そのテレビ番組を見れないことに苛つきを覚え怒鳴り散らす傾向がある。
そのため、ゲームを途中でやめないといけない。
何を言っているんだ??当たり前じゃないか?って思う人も多い。
そう当たり前なのだが、当時のファミコンにはセーブ機能というあんな便利機能は無いのだ。
必死にドラゴンクエストの復活の呪文をメモしたとしても間違い絶望にくれてしまうことだってあった。
それでも諦めず何度も繰り返していたのは今思い返せば狂気の沙汰とも言えるのではないか・・・?とすら思えた。
今の世代の子供(幼少)を見てみよう。
同じ世代の人等は親になり、子供に当たり前のようにゲームをプレイさせる。なんて良い親なんだ!
ゲームをしている事自体が、「市民権を得て」一つの媒体としての成長をみた瞬間でもあった。
もちろんテレビなんてのは一家に一台なんて家庭はほぼ無い。
一人2台と言ってもいいだろう。
いや一人テレビ0台で、神器スマートフォンが親から与えられることもしばしばあるだろう。
セーブデータに至っては、セーブをし忘れたとしてもオートでしてくれるオートセーブ。
ゲーム画面をそのままタスクごと保存してあるレジューム機能。
まさに至れり尽くせりとはこのことではなかろうか。
昔と今では当たり前だが違う。
私の親は現代風に言えばネグレクトだった。
昔はそんな言葉がないから放任主義(かなり今の意味とかけ離れている)と取られていた。
親の気持ちを害さないでゲームライフを以下に送るかを考えながら過ごしていたか毎日考えていた。
だが、今の子供等はかなり恵まれているといえる。
両者が快くゲームと向き合える環境が整っていて、時間とルールを決めるという当たり前が整っているから子供達がいる。
そんな子供達に一言言える。
羨ましい!
そんな子供の頃からゲームに対しての執着を露わにしていた私は後に親から、そして周りから冷ややかで煙たがられる存在に・・・
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