Non angli, sed Angeli.

「アングル人ならずして、天使なり」(教皇グレゴリウス一世、約540年生誕、604年三月二十九日死去)

 六世紀までケルト人が住んでいたブリテン島に、大陸側からアングル人やサクソン人、ジュート人といた異邦人が攻寄せて定着したことは歴史をかじった人間ならすぐ分かるはずだ。今みたいに英語というブリテン島に定着したのは実はそう昔のことじゃない。言語ですらお互いに通じないもののごった煮なのだし、当然人の外見もだ。

 そのアングル人の奴隷をローマに連れて、やってきた商人を教皇グレゴリウスは見かけたのだが、遠い異国から来た奴隷の姿があまりに美しかったから上の言葉を発したのだという。ここから分かるのは、ヨーロッパという言葉でくくれるほどそこに住む人間の見かけは一様ではないということだ。
 当然ながら白人といってもい一種類にまとめられる存在ではない。
 広くヨーロッパと言っても、バルト海沿岸と、ギリシア周辺の地中海世界とではまるで人種が違う。アラブやイランの人間も白人だけど、ヨーロッパの方とはまた違った別の顔立ちをしている。(アフリカ人と言っても北アフリカの人は、更にインドの方にいる人まで厳密にいえばコーカソイドのくくりに入るけど、あの地域の人間を白人と呼ぶことは日本ではあまり聴かないな?)
 中央アジアの人はアジア系とヨーロッパ系の中間に位置するそうだ。