我妹子とか愛称とか

 万葉集の歌を読むと親族間や夫婦間で呼びかける言葉が本当に多い。「いも(妹)」「せ(兄)」を始めに、「わぎも(吾妹)」「わぎもこ(吾妹子)」「あがせ(吾背)」という言葉が沢山出てくる。我が妹、音がつづまって「わぎも」──「私の○○」という表現は、世界中に用例がある。人と自分の間に関係性があるという事実に愛情がこもっている。
 現代とまるで変わらない。人を親しく呼ぶ言葉はいつだって暖かさがこもってるし、また言葉を使う人間の心が如実に現れてくる。
 
 これらの言葉の他にも、上代にしか使われなかった言葉は多い。
 たとえば、日本書紀の訓読では「父母」を「かぞいろは」と読むことがある…これも上代では普通に使われていた言葉らしい。上代の言葉は後世に比べても特異性がある。それが日常的に使われていたから、他の言葉が主になって取って代わった時、めっきり使われなくなってしまったのか。もはやそれを明らかにすることはできない。

 上代の言語史料が歌に偏っているせいもあるが、散文にはこういう言葉は見受けられないようである。平安以降の歌にも無論上に書いたような呼びかけは出てくる。しかし奈良から平安時代に入ってくると、中国の文物が定着して、親子とか男女間の関係のありようにも変化が生じたことは疑えない。
 そういう外来文化の影響を受ける以前の歌には、古代のおおらかな空気をどこか感じるのである。ちなみに言えば、「せ」はその後男兄弟を表す「せうと」という言葉に残っていく。「いも」は「いもうと」に受け継がれていく。
 不思議なことに、「せうと」はもはや現代では死んだ言葉になってしまった。違う事柄をあげると、「ひめ」は今でも普通に使う言葉だが「ひこ」の方は人名にしか使われない、という事情に似かよったものがある。
 恐らく男性に関する名刺の名詞の方は女性のよりはやり廃りが激しいのだろうと、そんか気がする。

「われ」よりも古い一人称として、「あ」という単語がある。「あれ」「あが」という風に使われ、上代特有の単語だ。これも平安期に入るとほとんど使われなくなる。ただ「あが仏」と言う言葉の中に形骸的に出てくるようになる。これも暖かみを感じる響きではある。
 逆に中世に入ると、「ちち(父、古くはティティという発音であった)」が音韻の変化を起こして「てて」になり、これは子供っぽい響きを強く含んだニュアンスとして使われるようになる。言葉の歴史は、かなり奥が深い。