宗教がわける共同体

 宗教の違いは、生活習慣や文化の背景の違いにつながる。宗教はすぐ隣にいる人間を全く別の存在にしてしまうほどの影響力を持っている。僕はこのことを何度も指摘したが、やはり僕自身の好み一番分かりやすい食習慣の違いだ。

 イスラームの食習慣は厳しいとされるが、ユダヤ教に比べるとさほど複雑で多岐にわたるものではない。豚が食えない、という点ではアイスクリームが駄目みたいだね……ラードに含まれる豚の成分が引っかかる。それに、どういう風に屠殺されたのか。異教徒が屠殺した肉を食えるのかという議論もある。こういうのを知るのは僕にとっては実に楽しいんだけど、やはり地味で、分かりにくいからか。
 だからムスリムがいる学校では給食に気をつけるというが……とても不思議な話だ。僕の身の周りではそういう話は聴かないし、半世紀前だったらありえなかったろう。
 宗教の実践はこの頃になって本当に身近な問題になってきた感がある。これは本当にいいことだと思う。多分、十年前だったらこれほどイスラームが認知されていなかっただろうし、やはり危機感は外の世界への興味をかき立てずにはいない。

 宗教を実践することは、文化を継承することとどうしても関わってくる。
 例えば葬式の場合はどうなのか。違う宗教の葬式に出られるわけはないし、祭りの場合は? 現代において、それが違う宗教を信じる人間に共有される余地はあるのか。無論、これは実際の生活の上で考える必要はないことだが。

 宗教は民族の気質や土地の気候と言ったものは簡単に乗り越える。宗教はもっと無意識のうちに人の思考を規定しているものだし、それに生活にもっと根づいている者こそが宗教なのだ。例えば、仏教用語に由来するものの多さを考えればいい。それに、今ここで話しているのは共同体だ。
 今僕は、一人一人が宗教に関して、どう考えているか問うているのではない。すでにある地域の文化の根幹をなしている宗教に、一人一人がどう参与しているかを調べる方が楽しい。
 キリスト教よりもイスラームの方が先に伝達している場所の方が多いのだ。

 現代日本でイスラームを実践しようとしたら、それはほぼ大多数から孤立することになりかねない。生活を共にするのに困らない範囲で、閉じた共同体を築くしかあるまい。それが当然とされてきたのが向こうの社会だ。別に異常なことでも何でもない。そこに押し付け的な理解はさしはさむべきではない。いや、宗教でなくてもだ。

 何をしているか分からない、ということで誤解や対立が生まれるのも分からなくはない。だから自然に住み分けが起きる。
 そしてその認識していないだけ……というだけのことが、もしかしたら日常的に起きているかもしれないのだ。でもやはりその境界線に立って二つの共同体の実情を伝える人の存在は不可欠だと思うし、僕はそういう人間になりたい。