仮面ライダーディケイド――放浪の旅人、門矢士

 久々に『仮面ライダーディケイド』の話をしようと思う。

 ディケイドはしばしば番組の放送期間をずらすための繋ぎ、というメタな条件のために造られた存在だった。そして、ぶつ切りになってしまった結末も、脚本家が途中で降板してしまったからとか、本来作るはずだった劇場版映画がロケ地の確保が不可能になってしまったからとか、そういう裏の取れない話が絶えない。だが、そういう製作上の事情をあえて取り除いて語ると、ディケイドはどこか、人間や宇宙がそもそも論理的にできているものではなくて、常に不条理の中に沈む危機を孕んでいるものだ――という摂理を教えてくれるような気がする。
 世界の破壊者ディケイド、そして旅人門矢士は、僕にとって親近感というか、その重ねて見てしまうような人物なのだ。

異物の旅人

 門矢士は行く先々で迫害される。士のせいで、世界が滅びに向かっていると。
 世界同士の融合を止めようと、鳴滝という男がその噂を吹聴して回っているのだ。だから士は、必ずその世界のライダーとの戦いを余儀なくされる。そこに、士に定められた悲劇がある。
 士自身がこれまた仮面ライダーディケイドということによって、その負い目はますます重い物になってしまう。

 鳴滝も士と同じくらい不思議な人物だ。なぜディケイドを呪うのか、世界にとって何者なのか、素性が全く知れない。
『ディケイド』では、そのほとんどが謎のまま、あかされずに終わってしまう。第四の壁を取払ってみれば、所詮は繋ぎ番組、お祭り番組なので細かい設定など考える必要がないと言われれば、それまでだが。
 でも実際の人生も、謎に満ちている。どうして自分が生まれたのか。なぜ、あの人たちとあんな結末を迎えてしまったのか。今、あの人はどうしているのか。その理由が明かされるほど、人生というものは筋書きなど定められていないし、理屈で動いてはいない。
 世の中で一体どれほどの問題を解決できるというのだ。ほとんどは、うやむやにされるか、悪い形で終わってしまうものではないのか。
 士に使命を言い聴かせた紅渡。彼が前作の渡と同一人物なのか、それとも何の関係もない別人なのかは知る由もない。ここにも製作陣ははっきりした考えを持たせていなかったのだろうが、やはり定められたストーリーとして見た場合、想像の余地はある。

最後に待つ結末

 士は最終的にライダーたちの誤解を解き、その世界の脅威を共に倒すことに成功する。しかし、その結末は?
 僕だったら、到底その繰り返しに耐えられないだろう。世界を救って……世界を救って……世界を救って……自分は一体何のために生きているんだ。世界を救うために存在させられているのか? と疑ってしまうだろう。
 確かに、仲間はいる。しかし彼自身が異物――ユウスケにもはっきりと故郷があったというのに――である以上、どこかお互いの心に、間隙が生まれてしまう。
 その危うさは終盤になって現実化する。
 ライダーたちから世界から出て行けと言われる。自分の世界を持たず、どこにも拠り所がない士にとって、それは自分の命を絶てと言われるのと同じ。
 もはや戦う道しか選べなくなった士は絶望と怒りを露わにして、ライダーを殲滅する。士は孤独で、しかも絶えず迫害される旅人だ。それは、時としていかなる抵抗をも辞さない化物に変貌することを要求する。むしろ、そうなってしまう方が普通だろう。
 知らず知らずのうちに世界を救う旅への鬱屈をためこんでいた士は、それを拒否するため、悪に寝返る方法しか持たない。ここに、帰る場所を持たない旅人の悲しみがある。

永遠の放浪者

 士には、帰属すべきものが何もない。その点で、本質的にmarginal(境界線上の)人間なのだ。何者でもないし、何者でもないことが彼にとって最後のアイデンティティだった。士は本当の自分の世界を探し求める。だが世界は士に 自分の世界がないから……。しかし多分、士のような人間に誰でもなりうる可能性があるのだ。誰だって、この世界が自分にふさわしくないという意識を少しくらい感じたことがあるはずだ。 この世界を俯瞰して視たいと思う人間は、絶えず世界から拒絶されているような違和感を覚えずにはいない。それすら、自分のカメラが常に歪んでいるのはそれを象徴的に表している。

 一時的に、士が自分の故郷を発見したのではないかと思われた瞬間がある。それが、劇場版の世界だ。

 その世界が教えるには、士は大ショッカーの首領であり、ディケイドとは全ライダーを倒すための秘密兵器だったのだと。そうすれば、士は世界を救うどころか、世界に仇なす悪の権化だということになる。
 自分自身が悪になることほど、恐ろしいことはない。自分の存在理由を見失うことは、時として暴走につながる。
 だが暴走した所で、世界は士の選ぶべき正解を決して教えてはくれない。劇場版で士が出会った世界もまた、とうとう多くある中の一つという結果に終わる。明かされた事実のような何かも、士にとってそれがその世界の役目だったから、という疑惑をぬぐいきれない。

孤独な旅人は一人じゃない

きっと、自分に『本当の住処』を提供してくれそうな何かに安住してはいけないということなのだ。
 士はとうとう安住の地を見つけることを諦める。
 結局、士は故郷を見つけることではなく、世界を旅して回ることに自分の存在意義を見出すようになる。

 渡り歩いて、違う世界同士をつなぐ人間は、世界には必要だ。
 僕はそう言う人間になりたい。たとえそれが、みんなから孤立し、嫌われる道であったとしても。
 そのためには、世界を壊すことだ。世界を壊して、つながりを持つものとして作り直すこと。

 孤独な旅人は、一人じゃない。