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レッドホットの曽野村――仮面ライダー鎧武

 レッドホットの曽野村という人間は影が薄いように見えて、実際には無視できない存在だ。
 彼らは出番はわずかだが、どうしても特別な人間のヒロイックな活躍の物語である鎧武にあってむしろ見逃してはならない人間である。
 初めて登場した時、彼は悪友と共にベルトを見せびらかして騒ぎあっている。もうこの時点で日陰者だし、成長する種子も宿ってはいないのだろうと思わされる。
 少しして、ヘルヘイムの侵食と人間のインベス化が一層ひどくなった沢芽で彼は強盗を働いている。元から目立ちたがりで荒々しい性格だったが、非常事態を生きる中でその本性が覚醒してしまったようだ。
 紘汰は彼らと言い争い、人間の醜さに絶望してしまった。
 紘汰には理解のできない境地だから涙ながらに激昂した。もしこの時隣に戒斗がいたならこう言うだろう。弱者は連帯できないからだ、と。根が善人すぎる人間に愚者の弱さが理解できるだろうか。非常事態においてむしろ園村の方がより多くの人間と共通する精神性を持ってはいないか。
 改めてみると演技が迫真過ぎる。この立居振舞からして、特別じゃない普通の人で、誰かを助ける活躍などできるはずがないし、しようとも思わない凡人という雰囲気がありありと出ている。しかし現実にはそう言う人間の方が簡単に思い出せる。
 曽野村は根本的には悪人ではない。元々が歪な世界で、悪に落ちることを罪深いとは知らない愚者であり、それゆえに紘汰を自分たちと同じ道に引きずりこもうとさえした。だからこそ彼は悪に落ちて平然としているのだ。だが元から悪意と共にあり、世界に悪をはびこらせる人間は少なくとも鎧武の世界には存在しない。ヘルヘイムが悪なのか?  戦極凌馬ですら、世界の残酷さに感化され、そういう風になってしまった感がある。
 改めて思えば善悪で決められない『何か』が、たまたま人間に絶望や悪意を生じる方向に働いただけではないか。人間はそれを善悪とか、吉事あるいは災難という要素に当てはめて理解しているだけのこと。
 貴虎が紘汰に言われたように、曽野村も変身したのだ。もっとも最悪の姿にだが。そんな奴を紘汰は助けた。助けざるを得なかった。なぜなら彼は良心をねじ曲げるだけの強さを持っていないから。悪人を助けることが正しいのかどうかは、究極の疑問だ。だがそんな時にも手が動いてしまうのが紘汰の欠点でもあり徳でもある。自分たちがユグドラシルの実験台になっていると知ってなお、ヘルヘイムの森で社員たちを助けたように。これが紘汰ではなかったら間違いなく見捨てただろうし、彼らを卑劣で惨めだからという理由で見棄てたからといって世間的に大きく批判を浴びるわけでもない。だが紘汰がそんな人間だったら間違いなく世界の滅亡を停めることはできなかったろう。
 結局彼らはインベスの暴走に逃げ出したきり、姿を消した。鎧武では大局を動かす人間以外にはほとんど焦点が当たることはない。バロンと鎧武以外のチームの行方や、沢芽の外の様子も全く触れられなくなる。これは、歴史を学ぶ時指導者の動きばかりを注目するような物で、確かにその視点も必要だが、それだけでは全貌を把握しえないのも事実だ。尺の都合もあるし、自然と観客は他者がどうしているのか関心を持たないように導かれる。
 でも全てが終わった後には、こういう人間の方が生残ってるんだろう。ユグドラシルなき後の沢芽に戻ってきて、混乱の日々での悪行を酒の肴に語り合っている所を、凰蓮に目をつけられて縮こまっているのがオチだ。ロックシードもベルトも簡単に手に入らなくなった世界で、また別の何かに目を付けるのか。

 でも初瀬も、もし果実を食べずにいたら多分曽野村みたいになっていたような気がする。城之内は凰蓮にしごかれ、鍛えられることで変わることができたが、それもやはり彼が根ではさほど悪い人間ではないという作中の脚色があってのことだ。街の危機から誰かを救う英雄に変身することができたザックも、また内なる曽野村を宿していた。誰もが善人になれるわけではないし、むしろ進んで悪人になりたがる人間もいるのだということは鎧武の物語は教えてくれる。