スペイン語の中のアラビア語

 僕がスペイン語の中にアラビア語由来の語彙に魅力を掻立てられるのは、それが本来ロマンス系の言語とは交わるはずのない異国の言語である以上に、民衆の口に膾炙し使われ続けたという事実があるからだろう。例えばそれは、近代になって西洋の概念を漢字で表すために作られた造語とは違って、もうどういう風に人々に認知され、浸透していったか分からないが確かに人間の往来や知識の伝達があったことを教えてくれるからだ。
 アラビア語の語彙は大抵al-で始まるから判別できる。アラビア語の定冠詞alのことだ。イタリア語や英語にもアラビア語由来の語彙はあるが、定冠詞をつけてはいない。コットンという言葉すらスペイン語ではalgodónと言い表している。
 井戸を意味する言葉にも、アラビア語由来のaljibeとラテン語potiumからくるpozoの二種類がある。aljibeも、いかにも庶民的な感じがする。もっとも『プラテロと私』(Platero y yo)を著したヒメネスはpozoの方に深淵な響きなを感じていたようだが(※)。身近な職業にもアラビア語の入りこんでいるものがある。これはポルトガル語だが、衣装の仕立て屋を意味するalfaiate、アラビア語の言葉だ。都市の行政を担う参事会のalcaldeも起源をさかのぼればal-qadi(裁判官)であり、イスラーム法の概念がキリスト教社会に認知されていたのも重大な事実。alguacil(巡査、執行吏。ポルトガル語では定冠詞が抜落ちたguazilと呼ばれる)は、オスマン帝国などで官位の高い貴人を意味するwazirを語源とするのもなかなか意味深である。
 これほど単語が入りこんでいるというのに、アラビア語の音韻や文法はスペイン語にはほとんど影響を与えなかったし、あくまで単語程度の影響にとどまった。スペイン語はキリスト教国の言語であり、キリスト教圏とイスラーム圏の間にはどれほど混淆的な状況にあっても、基本的に溝が存在した。宗教同士の対立である以上、その差を払拭しきれなかったという事実は重い物がある。

(※)「プラテーロとわたし」J.Rヒメーネス、長南実訳、岩波文庫332頁。