羽川翼と善意自慰

昔のツイートをまとめただけの記事です。羽川翼というキャラの解釈です。記憶を頼りにかたっているので羽川翼とずれている場合もあります、それを理解した上でお読みください

善意的自慰行為とは? 善意を振りまくことで自己肯定感を満たそうとする行為。そこには一見相手への思いやりがあるように見えるが、実際のところは「人のことを思いやれる、人に優しくできる自分」に酔っているだけである。

善意的自慰は無意識に人の中に現れ、人に実用性のない個人の感想のようなアドバイスをしてくる人間などがその代表だろう(もちろん全員とは言わないが)

これ自体はかなり有り触れていて、誰の心の中にでも巣食っている病巣でもある。なぜなら人を「心配」する時には 心配する人>される人 の図式が自然に発生してしまうからだ。いってしまえば、どうしようもない。

他人を「可哀想」と思う時、その瞬間に上下が決まる。相手の上に自然に立てるのだ。それはある種、人の上に立った時の快感を味わうことに繋がる。

しかし、それによって救われる人たちがいるのも確かで、たとえそれが善意オナニーのオカズであったとしても、その差し伸べる手が無ければ消えていく人も沢山いるというのが事実

羽川翼と善意的自慰行為になんの関係があるかと言われれば、物語シリーズをみていただければわかりますが簡単に解説すると 「善意的自慰行為のオカズにされたくなかった」 というのが羽川翼という女なんですよね。普通でない過程故に他人から哀れまれることを唾棄した

羽川翼自身、原作を読んでもらえばわかりますが、とってつけたように不幸な女です。だけれどもその身の上で、何としてでも「普通の女の子」であろうとした。普通の人間なら助けを求めて、それが善意オナニーであってもしがみつくというのに、あの女はそれを拒否して一人で前へ進んだんですよね……

そしてこの羽川翼という女、親から生きる術を学べなかった人生ゆえに、知識だけで行動するんですよ。だから、「正しい」行動を「機械的」に「正しい」から行える。善意的自慰行為に堕ちることなく、人を助けることが出来る人間なんですよね。

でもこの生き方って「下手くそ」な生き方なんですよ。助けてといって、善意オナニーにしがみつく方が生き方としてはよっぽど利口で楽ちん。可哀想であればあるほど、実は周りは優しいんですよね。だから多くの人間が情けなく、可哀想であろうとする。

「可哀想」であることを拒否した羽川翼が行き着く先は、完全無欠の聖女だったわけで、あらゆる知識と能力を手に入れる代わりに、決して誰からも助けて貰えない存在になった(作中に登場は主人公ですら救うことはできず、手に負えなかった。その顛末は猫黒と結物語参照)

この女の姿、言ってしまえば哀れではあるんですけれども、気高く、美しいんですよ。他人からの感傷を唾棄し、己の力を高め、一人でも前に進もうとするその決意と行動は羨望の対象に十分なりうる。

ただ、原作履修者はわかるとおり、羽川翼自身は結局のところ自分のその決意に耐えることが出来ず、押し潰されてしまうわけなのだけれど、そうあろうとした精神がなによりも黄金だった。

まあそんな話。そういう意味であの女には憧れてしまう。

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