生きたくない日々の言いかえかた。
石風呂氏の曲、シーサイドモーテルの歌詞に、こんな一節がある。
生きたくない日々を死にたいと言い換える。初めて聞いた時、納得感があった。誰しもが簡単に、「死にたい」と口にするけれど、大抵は別に、本気で死にたい訳では無いと思う。
最も、そう思うのは、僕が死ぬことに対して強い恐怖感があって、25にもなろうと言うのに、夜中に震えて眠れなくなる精神性だからかもしれない。
しかし、実際、死にたいと思うのは異常なのである。生物なのだから、生きねばという本能があるはずで、そういう本能が人の大きな部分を支配しているから、それが欠如するのはおかしい──と僕は思っている。
だけれども。今日もふらりと死にてぇ……みたいな言葉が心中をよぎる。その度にもう1人の僕が
「そういうことを言ってはいけないよ」
と窘めてくるのだけれど、やっぱり、仕事帰りにぼんやりしていると、そんな気持ちが頭をしっちゃかめっちゃかにしていくのである。
ただ、死ぬのは恐ろしいから、実行はできないだろう。ふと思う。人間において、生きることの対は死ではなく、死んだように生きることなのだろう、みたいな話を。ここまで書いて思ったけどこれなんかの受け売りだな?なんだっけ?読んでくれた人教えてくれたもれ。
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