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20230427 北目町(仙台市) #風景誤読

高校2年のころ、弾き語りライブを企画した。練習するために北目にあるスタジオにちょくちょく行っていた。

みたらしが「あのスタジオって北目だっけ。全然覚えてない」と言うから一緒に行ってみた。

この階段を降りたさきにスタジオがある

スタジオのまえを通り過ぎたとき、ぶわっとちいさな記憶が蘇ってきた。

ベースを弾く別の友人と、一回3人でスタジオに入ろう、ということになった。しかし、個人練習のやすい料金で入れるのは2人までで、3人以上で入ると通常のバンド練習の料金になってしまうので、僕とベーシストの2人でさきに入って、みたらし(見学)にはあとで合流してもらおう、という姑息なことを考えた。今思えば、それ普通にかるく詐欺では、という感じだが、たぶん時効が成立しているので問題ない(?)。みたらしは覚えていないと言うので、もしかしたら記憶の捏造かもしれない。

目的達成。じゃあ、どうしようか、と知らない路地に入りながらふたりで街を見つめる。すると、「中華とうがらし亭」と書かれた汚い看板が目に入る。これは入るしかない。

店内は思ったよりあたらしい感じだった。入り口目の前の棚が謎にカーブしていて、その最上段に(恐らく店員のものと思われる)ヘルメットが並んでいるのが面白かった。鶏野菜炒め定食に惹かれたが、とりあえず無難にチャーハンを頼んだ。みたらしは辛味噌ラーメン(小辛?)を頼む。

恐るべきスピードで料理が運ばれてくる。5分も経っていない。

よくわからないが、スープがくさい。

(一部の)町中華というのは「もう二度と来ることはないだろう」というところに趣があるのではないか、とはなした。何度も来たくなる美味しさを求めて町中華に入ることはない。町中華という色褪せた空間を食べに来ている。(もちろん、美味しかったらまた行くのかもしれないが、それは大したことではない。)そして、それぞれの町中華にそれぞれの色の褪せ具合がある。

ここはほんとうに美味しい、行ったほうが良い、というはなしをよく聞くが、まったく興味を持てない。まず行かないだろうな、と思いながらはなしを聞いている。「誰かと一緒に食べる」こと、「その空間に居る」ことにしか意味がないと思っているからかもしれない。


[たかしな]

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