みんなでお祝いする言葉
暇つぶしにソーシャルゲームをやっている。最近は幽霊部員みたいになっているが、なんだか全く知らない人とチャットして一緒にゲームをするのが楽しくてハマっていた時期があった。
一時的にチームになって遊んだり、友達とチームで遊ぶゲームは良くあるが、当時、長期にチームを組んでチャットをしながらといった感じのゲームは見たことが無く(今でもマイナーな部類だ)、正直ゲーム自体はそんなに良くできたゲームでは無いのだが、そのチャットとの相乗効果でハマってしまったのであった。
いきなり余談になるのだが、ソーシャルゲームはすそ野が広いらしく、ゲームに200万とか300万を突っ込んでいる人がいて本当に驚く。自分なんて月1000円もいれればいい方で基本無料で遊ばせてもらっている。ゲームを末永く維持しているのはそういったお金を突っ込む人たちなので、感謝である。
話を戻すと、私のやっているゲームはチームに入って他のチームと戦争するといった類のものなのだ。その際にはチーム内で全員が話せるチャットがあるわけだが、ゲームの性質上そこはチームの人たちだけしか見る事ができないし発言することができない。
もう一つ、ワールドチャットというのがあって、そちらはそのゲームに参加している人たち全員が使えるのだが、基本的にほとんどの人たちはチームチャットしか見ておらず、ワールドチャットを使っている人はごく少数と言った状態である。
さて、ソーシャルゲームは定期的にチームで競い合うイベントがあって、良い成績が出せたり念願の競合チームに勝利したりした時にみんなで喜び合うわけである。
で、私が違和感を持っているのが、その際にみんなでお祝いするために使う言葉が、おめでとうございます、なのだ。最近は孤独な自分への皮肉を込めてハッピーバースデー・トゥーミーなんて言葉も聞く様になったが、心から喜んでいるシチュエーションで自分達に、おめでとうございます、だ。
私は自分たちだけで喜び合うという言葉が日本語に存在しないことを、その時初めて知ったのである。おめでとう自分達である。
思い返してみれば確かに人生でそういったシチュエーションというのは存在していなかった。運動会で勝った時も、受験で受かった時も、それ以外に何かを成し遂げた時も必ず誰かお祝いの対象者の外に人がいたのである。
そしてそういった時の喜びの言葉はヤッター!とかありがとう!といった類の言葉であって、それは周りのお祝いしてくれる人達や、悔しがっている競争者が存在し、その姿勢を見せつける事が出来ていたわけである。
もちろんワールドチャットを覗けば、おめでとう、ありがとうのやり取りはある。それはごく自然の事で全く違和感のない話だ。しかし、チームチャットは自分達以外誰もいないのである。戦いに勝ってお祝いする対象である自分達以外に誰もいないし、誰も外から見ることもできないという特殊な空間なのである。
想像できるだろうか、運動会で勝ったら、チーム以外の誰もいない状態が突然訪れ、競い勝ちを掴んだ当事者である自分達だけで喜び合う。野球の大会で優勝したらナイン以外誰もいなくなって、自分達だけで喜び合う。
そういった今まで現実世界で存在しなかったシチュエーションがバーチャルな空間では起こり得る。そしてそんなあり得なかったシチュエーションで感情を適切に表す言葉が存在しなかったというのは非常に興味深いと共に、なんとも釈然としない、モヤモヤした気分になるのである。
やったね皆!とかヤッター!でもいいのかもしれないとも思うが、ちょっといい大人が(ゲームにハマってる時点でいい大人もないが)やったね皆!とかチャットで言いあって、メンバー分並んでいるのも違和感のあるシチュエーションである。
それにやったね皆とかヤッターという言葉は喜びを表しているが、お祝いしているというニュアンスは含んでいない様にも思うのだ。
今後自分達を自分達だけでお祝いする様な言葉は出てくるのだろうか。チャットを観察している限り、今のところそういった気配は見られない。
もしあるとすればそのゲーム内の誰かがしっくりする言葉を投入し、それがチームからゲームに広がり、他のゲームに波及し、リアルにあふれ出るというルートを辿るはずである。いや、リアルでそういったシチュエーションは無いのでリアルでは使われないのかもしれない。
あるいは、おめでとう、という言葉がナチュラルに自分達にも使われる言葉として変容する可能性である。今も使われ続けているのでその可能性の方が高そうである。いや、しかし広がりという意味では、そういったシチュエーションになるゲーム自体マイナーなので、それが世間一般に広がるというのも少し想像し難い。
そういったわけで、今後もそんな解消されないシチュエーションに違和感を持ちつつ、ゲームをする日々なのであった。誰か何か良い言葉しりませんかね。