どうシンプルにしたって難しい話は難しいのであるという話

世の中物事を単純化することが良いという様な風潮がある。特にエンジニアなんかはシンプルであることを金科玉条の如く掲げている人もいて、間違えた単純化に驀進していく始末である。

中学生でも解る様に説明しろという話も同じである。これには中学生が知っている言葉で説明する、という話までは良いが、中学生でも解る話とは求めていることは雲泥の差である。正直まずお前が中学生レベルを卒業しろ、と言いたくなる。複雑な話はどう頑張ったって複雑なのである。

こんな風潮がある一つの原因はオッカムの剃刀の話があるのではないかと踏んでいる。これも間違えた認識をされている事が多く、物事の説明はシンプルな方が良いという文脈で使われていることがある。しかし調べてもらえれば判る通り、オッカムの剃刀とは同じ事象を説明できるのであれば、仮定するものが少ない方が良いといった話で、説明がシンプルかどうかは関係がないのである。

ある事象を説明するのに仮定の数が少なければ少ないほど、正しい可能性が高いというだけで、事象を説明する要素は一つたりとも落としてはいけないのである。なので完全に無駄のない形になったからと言って誰でも理解できる話になったわけではないということである。

最近(と言っても既に何年か経つが)、宇宙際タイヒミュラー理論という数学の複雑な証明が成されたが、その論文全体は500ページにも及ぶという。この理論において、一番シンプルな証明が500ページの証明なのであり、中学生でも解る様な説明は不可能なのである。

これに関しては、宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃、という本があるのだが、内容はさっぱり要領を得ない。多分読める層を増やすためにかなり平遥な文章にしたのだと思うが、数学の素養の足りない自分には数学の分かれている分野を行き来できる様になった程度のことしか理解できなかったのである。

もちろんかなり高度な話なので、しっかり説明されたところで結局理解できないことは明確なのだが、単純化してしまったが故にそれ自体は殆ど何も説明されていないという事もあるのである。あの本はきっと我々一般人に望月氏の偉業を広めるためにあるのだろう。

そしてIUT理論によって証明されるABC予想は今後(言い方は解らないが)ABC予想により○○は自明などと我々一般人がさもしたり顔で証明に使うことができるのである(いや、そんな機会ないな)。そして、ABC予想は本当に自明なのかよ、という疑問に対しては、IUT理論というものがあってだなぁ、と説明もできない理論を引っ張り出してこられるわけである。

結局何が言いたいかと言えば、どれだけ完璧にシンプルな考えになったとしても難しいものは難しいし、それをさらにシンプルにしたら何らかの要素を取りこぼしており、それは大本の考え方からは大なり小なりずれてしまっているという認識を持つべきだという事である。

そして、知り合いの知り合いの知り合いあたりが持ってきた、判りやすく簡単で素敵な話には大切な要素が意図的に落とされた裏のある話である可能性があるという事である。