経済学者に読んで欲しい物理学者の本の話

私は心から経済学というのはできの悪い学問だと思っているのだが、なんだかんだ経済には興味があって経済系の本を読んでしまうというなんとも言えない生活を送っている。まあ、しかし、経済そのものは身近な生活の一部であるし、それについて良く知りたいという気持ちからの行動で経済学そのものには期待しているのである。

いままで、その経済学のできの悪さをいざ説明するとなると上手く説明できないのがもどかしかったのだが書店で見つけた「数学に魅せられて、科学を見失う」という本によってスッキリ爽やかに経済学のできの悪さを理解したのであった。

因みに原題は「LOST IN MATH」副題が「How Beauty Leads Physics Astray」となっている。直訳すると「数学で失う」「美しさはいかにして物理学を迷走に導くか」という感じだろうか。題名の付け方も原題を活かしつつぱっと見で中身が判る良いセンスである。流石のみすず書房。

かなりボリュームもあり、入り組んだ話を丁寧に掘り下げ、理解しやすく並べた本なのだが、私の能力では要約しきれないので印象に残った話として書いておく。

さて現代物理学において、その発展は理論先行で行われる。理論先行というのは先にこういった理論で宇宙や素粒子は存在しているだろうという話が先にあり、それを確認する現象の検出が遅れて実施されるという事である。昔は現象先行で、この現象はどういった理屈で起こるのだろう、という疑問があってそれに対して理論が構築されていたという事でもある。

これには事情があり、調べるべき現象の殆どがもはや通常観測されるものではなく、その観測のために非常に大がかりな、何百、何千億のお金がかかる施設が必要になっているからという事もある。つまり、昔は近くの星の軌道や光の屈折等簡単に観測できるものが対象であったのが、速度による時間のズレや量子や重力波の様に、観測されるであろうものを目的として装置を作らなければ観測できないものに対象が限られて来たという事である。

さらに現在。装置はより大がかりになり、最早作られた全ての理論を確認する事はできない様になってきている。そのため果たしてどの理論を優先的に選択するか、という事が問題になってくる。さらに言えば、最早観測できない事態が発生した時、どうすればその理論が正しいという事ができるか、という問題に行きつきつつあるのである。

それがどういう事かと言えば、ある理論モデルが構築され、数学的にも矛盾が無い状態であった場合に果たしてそれが正しいのかどうかが検証できないという事である。我々一般人は理論と言うものを日常的に使っており、理論的に正しいというのであれば正しいのではないかと考えてしまいがちだが、実はそうではない。それを明確に理解させてくれたのがこの本の偉大な所である。

実は理論というものは理論そのもので成り立っているのではなく、実証が伴って初めて理論としての正しさが保証されるのである。物理学では常に理論の背景には実証が裏打ちされており、それを持って理論的に正しいとされていたという事である。仕事でもロジカルシンキングというのが流行っていたが(今も?)、必ずしもロジカルな結論が正しいとは限らないと言うのが身近な例だろう。

しかし、現代物理学はその実証による裏打ちを維持できなくなりつつある。それどころか一部コンプライアンス崩壊の気配があるのである。話によると物理学の超対称性理論について、LHC等の実験では本来発見されるであろうエネルギー範囲において期待する結果を得る事ができなかったらしくその理論自体に問題が見つかった。さて、その場合、その理論は間違えていた、という事になるわけだが彼らは理論をより計測し難いエネルギー領域へ調整する事で、その理論を生きながらえさせたのである。

この話はちょっと込み入っていて印象的な話しかできないのだが自分達の美しい理論を生かす為に天動説時代の天体運行計算の様な微調整で逃れようとしている、といった感じである。もちろんそれが正しい可能性もあるだろう。しかし一番の懸念は新しい理論の検証実験が実施できて、また期待通りの結果が得られなかったときに彼らはどうするのか、はたしてどうすればそれを間違いとできるのかという事である。

さて、そういった理論の正しさという事を改めて認識すると経済学が残念な学問である理由が良く理解できる。彼らの理論は実証によって常に間違いを突き付けられているにも関わらず殆ど何もしていない、あるいはできていないのである。因みに本書でもちょっと見下した(言い過ぎかも)感じで経済学について触れている。

もちろん同情の余地はある。経済学はパラメータの多さと観測の難しさがあり、それを組み込んでゆく事は想像を絶する。だからと言って間違えた理論を使い続ける理由にはならない。根本から経済学というものを直す努力をしないのであれば彼らの多くは産業縮小に伴う失業者と同じく別の職業にシフトするべきなのである。

唯一の希望は行動経済学である。これもどこまでが本能的な行動でどこからが教育による行動なのかがあいまいなので、将来に渡って使い続けられるツールなのか謎ではあるが、実証という面で政治的価値は非常に高いと思う。この分野が育った先に何があるのか全く判らないが、マクロレベルまでの発展を期待したい所である。

また、哲学も同様で、これも実証と結びつかないからどういった展開もできるという事で非常に納得である。哲学とは自分が格好いいと思う生き方を好きに選べばいい、人生を装うファッションだというのが私の結論である。

数学はどうだろうか。数学も理論だけで構築されている。しかし、数学には明確な公理がある。公理自体は証明できないにも関わらず正しいとされている点について、そうじゃなかった場合での理論構築もできるので、というかされてきたのでそこが他の理論と一線を画していると言えるかもしれない。

もしかすると哲学も幾つか公理を作ってそれをベースに理論構築すればもっと正しい理論というものを実践できるのかもしれない。

そういった訳で、理論というものが本来どういったものであるかを明確に認識させてくれた本著は自分の人生の中で十本の指に入る(そろそろ溢れてる気もする)名著なのであった。想定読者のメインターゲットは物理学者だと思うのだが、経済学者には是非読んでもらいたい一冊である。