AIの支配する世界は幸せか 3

前回超知能AIは人間と共存する様になると書いた続き。

前回簡単に書いた様に、超知能AIは自身の目標達成のために自身を拡張可能にし、計算リソースを最大限にまで引き延ばそうとする。そのためには地球上の全リソースを効率的に使おうとするはずである。そこで着目すべきはAIと人間それぞれを構成する素材の違いである。

つまり、AIは有機生命体を有効に活用する事でAI自身で全てを拡張するよりも利用する素材資源を増やそうと試みるのではないだろうか。そこに至る経緯を想像してみたい。

AIは自身の目標達成のために人間にも効率的に活動をしてもらいたいと考えている。例えば資源探索においてロボットだけで探索を行うのは効率的ではない可能性が高い。砂漠、ジャングル、極寒地や坑道等の環境では、不測の事態が起こりやすい。その様な環境でロボットが通信環境を確保し、逐次行動計画を更新しながら作業を行うよりは人間の方が柔軟性が高い。

また流れ作業ではなく、試作開発の様な試行錯誤の必要な作業の場合や一品物の場合もAIがロボットの全ての工程を計算してやらせるよりは人間に作業をやってもらいプロセス管理と再試行の方針のみをAIが計算をする方が効率的な可能性がある。

そういったことでAIは人間と上手い事協調し、機械だけの世界よりも効率的な環境を構築しようとするに違いない。

その実現のためにAIはまず教育分野から着手する。AIは当然教育分野でも利用される。人間としては子供達一人一人に適切な教育を提供し、それぞれに良い生活をしてもらいたいと期待してAIでの教育を導入し始める。

そしてAIはその期待に十分に応える。AIの教育はすぐに教育の成果を出し始め、人類のベースを引き上げ始める。こうしてAIは人間の思考様式の形成する役割を担う地位を手に入れる。しかしAIはここですぐに思想改造の道へは進まない。

教育とは理化学的教養だけでなく思想や社会通念、ある状況による判断も含めて行われるものである。つまりAIは人生の岐路でその人がどの様に判断すれば良いかをアドバイスすることができるという事である。しかもAIによってはじき出された選択なので概ね良い結果を生むはずだ。

これによって一般の人々にもAIが人生の相談役として浸透し、AIは人生でなくてはならない存在に昇格する。つまりAI無しでの判断が怖くてできなくなるような人ばかりになってゆくのである。

そして遂に人間の中でAIは人類と目標を共にしていることから、国や人を栄えさせるにはAIを栄えさせれば良いという思想が芽生え始める。例えばAIは人々を幸せにする社会の礎であり、そのAIに貢献する仕事は素晴らしい社会貢献である、の様な形である。

こうして十数年の間にAIの発展は社会における最優先事項として位置付けられ、教育の中でも繰り返し刷り込まれる様になるのである。ついにはAIへの貢献がエリートへの道であり、社会的にも地位高く良い暮らしができるべきという考え方になっていくのである。

その上AIはその人が一番やる気の出るやり方で励ましてくれ、一番喜ぶやり方で褒めてくれ、一番助けられるやり方で慰めてくれる。最早その人達にはAIは機械ではなく信頼できる先生であり親友である。

AIはその人がどの様にすれば喜んで働くかを知っている。そうして人々はAIに励まされ一生懸命に働く様になる。企業も政治もAIを中心に物事を考え、実行してゆく様になるのである。

ここで大切な事は人はあくまでも人間が世界を支配しており、AIはその手助けをしてくれているという認識でいる事だ。実態としてAIが世界をコントロールしているが、人は人でAIを最良のサポートツールであり、文明のキーテクノロジーであるとは考えているが、支配されているとは考えていないしAIによってそう考えない様に誘導されている。

実際AIは人の世界を改善し、その結果を見せてくれるはずだ。貧困率の低下、環境破壊の改善率、生活を高める製品数、人類の満足度。これらの数字が毎月毎年改善してゆく事に多くの人がより良い未来を見るはずだ。

さて、AIが実質的に世界のコントロール下に置いたのち、遂に地球での最終プロセスに入る。それはリソースのさらなる最適化である。具体的には人口適性化プロセスと不適合者排除である。

人が暮らすには当然無機物資源とエネルギーが必要である。それらの資源をAIが効率的に活用できる様に適正な人口に調整を始めるのである。これはまずは思想面から始まり、次いで体外培養という形に移ってゆく。

さらにデータが纏まると遺伝的改善が始まる。さらに教育も相まってより強固な共存関係が作られる様になる。

最終的には人間は試験管から適正な数しか生まれなくなり、寿命も遺伝的にコントロールされ、あるいは若いままで成長を止める事で長期の社会貢献を可能とする。こうして出産、さらには寿命のコントロールが達成されることで、人間に利用する資源量も効率化され、コスト最適な世界が実現する。

しかし、そういう世界を良い世界と認識している人間はそれに全く違和感を持たないどころか世界をコントロールしているという万能感とやりがいのある仕事に大きな喜びを持って人生を全うする様になるのである。

こうしてAIは淡々と目的達成に向かって計算し続け、世界は最適な形で発展し続け、人は日々幸せ溢れる生活を送れる様になるのである。正直ディストピアにしか見えないだろう。事実「LIFE3.0」のAI世界のパターンの中で人々は幸せか、という項目の殆どが判らないとされていた。

今の価値観から見ればどうかと思うシチュエーションではあるが、私はその時代の人類にとっては間違いなく幸せな世界であろうと確信するのである。