なぜネガティブな人は不運を引き寄せるのか

大概の人はさして運のよい人生を歩んでいるというわけでもないが、世の中には不運な人というのがいる。

私の見たところ、不運な人の代表は抜けてる人で、左足の小指をぶつけるのを代表として、物を落とす、忘れ物をする、約束をすっぽかす、とまぁ誰がどう見ても身から出たサビという感じの不運である。話している限り本人も原因に自覚があるので、やってしまったらやってしまったで本人も反省しつつも致し方なしといった感じである。

さてもう1タイプ、不運な人の代表が存在する。それはネガティブな性格の人である。ネガティブな人は基本的にその不運が自分の性格に起因するものと思っていないがために、人生で起こる不運を世の不条理と思っている節がある。もちろん不条理もあるのだが、それに加えて自ら不運を呼び込んでいる人が多い様である。

それ以外にも不運という人も居るが、それらの不運な人は特に性格的なものではなく、ただその時そこに居てしまったが故の不運であり、上の様な分類のできない人達である。

因みにこの話は何かエビデンスのある話では無いので、個人的な観察日記程度に読んでもらいたい。もちろんネガティブな性格の人が読んで、同意を得られるかは一切不明である。

まずは(私から見て)ネガティブな性格の人の特徴をあげていきたい。まず自分は他の人に比べて運が悪いと思っている。そして、実際に運の悪いことが起こるとやっぱり自分は運が悪いと思っている。さらに、運が悪かった出来事を良く覚えていてどう思い返しても運が悪いと思っている。それだけ恵まれない人生なのだから、もう少し世界は自分に優しくあるべきだと思っている。その結果、他力本願あるいは他責的である。

さて、不運とは大きく解決可能な不運と不可能な不運に分けることができる。人生において起こる不運の殆どは人間社会にまつわる不運である。そして、人間社会にまつわる不運というのは人や会社等の社会的な関係で起きているもので、人の力で何とか乗り越えられる回避可能なものだ。

そういう問題に対してネガティブな性格の人は概ね起こり得る問題に対して思慮深く注意を喚起しているものである。しかし、実際には時間やお金やリソースの問題で準備には限界があることが殆どである。それに加えて、大概事前に準備できたことというのは問題を起こさない。なぜなら事前に準備がされている過程で原因が取り除かれていることが多いからだ。

そして準備ができていない事の中でたまたま折り合いの悪かったものが問題を起こすのである。これは私からすれば仕方のない類の問題である。本当に問題が起こることが判るなら、それだけ最初に対処しておけばよいが、問題というのは不完全情報に起因するランダムなものだからだ。しかしネガティブな性格の人にとっては、起こるべくして起こった問題なのである。

そうなるとネガティブな性格の人は、だから言ったのに、と(その人にとっては)起こる必要の無かった問題対処に割り当てられた自分の不運を嘆くわけである。その嘆きは、リスクの大きいと思われるものは対処したのだから、後は仕方がないと思っている私の様な人と比べると、天と地ほどの差のある不運に感じられるというわけである。

さらに、そういう経験を通して、世の中の多くの人はネガティブな性格の人を見分ける。普通の人はわざわざ棘を感じる空気の中で過ごさなくてよいのなら、そんな道を選ばないものである。なぜなら誰だって(ネガティブな性格の人だって)自分を前向きな気持ちにさせてくれる人が好きだからだ。そんなわけでネガティブな性格の人の周りというのは、悲しい事実ではあるが人が減って行くのである。

さて、ネガティブな性格の人にそういった類の問題が発生したとする。その問題は人に助けてもらえれば解決可能である。しかし、周りになにやら助けてくれる人が少ない。大概そういった問題は誰かしら解決できそうな人というのが思い当たるものである。しかし、日ごろ親密な関係でない人の問題にあえて面倒に首を突っ込む人は少ない。問題が起こってからどれだけ頑張っても、周りに助けてくれる人はなかなか増えない。

そういったことで、その問題は解決せず、そのネガティブな性格の人は、あの人が助けてくれれば、こんなことにならなかったのに、という逆恨みと共に、めでたく世間の冷たさによって引き起こされた不運リストが追加されるのである。

もちろん不運というのはこういった人の助けだけで解決できる問題だけではない。しかし、人だけで解決できる問題が解決できたなら、かなりの不運というのは回避可能である。お客さんの余計な依頼も不運と思わず出来る範囲で協力していれば、こちらの失敗を大目に見てもらえることもある。

不運を忌諱した故に不運を呼び込む、そんなこともあると思うのである。