まずもって人類はもう逆戻りはできないということ

つい先日無銭経済宣言という本を読んだ。無銭経済とは大きく出た話であると、凄くワクワクして読みすすめたら内容は無銭生活宣言であった。無線経済と無線生活ではかなりの差がある。出版社は正しく内容を理解して題名を付けて頂きたいものである。

さて、内容は良くやるなぁという無銭生活の工夫やその類の本の紹介が主で、読むだけであればちょっと楽しい内容である。たい肥の作り方から畑作りやハーブの採集、お茶の作り方等ナチュラル生活に憧れる人なんかには参考になるのかもしれない。

その合間に今の文明は色々なものを使い過ぎている、もっと昔の生活に戻るべきという定番の話が挟まれている。無銭生活へ向けて人類全員がステップバイステップで慣れて行けば誰もがそういう生活をできる、という気持ちが感じられる点では本人的には無銭経済宣言なのかもしれない。

とは言え著者本人も文明のおこぼれによって生きている部分があった事は理解しており、全員が無銭生活に移行するとそこがどう解消されるかについてはあいまいである。いや、そんなに長く生きる必要は無いという感じの話もあったのでまぁどうしようもなくなったら死ねばいいじゃん位の話なのかもしれない。

しかしそういった所謂質素な生活が必ずしも地球環境にプラスかと言われれば実はそうでもない。この手の人たちはそこらへんの理解が足りていない。

例えば石油を使わず薪を集めてきてその火で暖を取り料理をする。こういうイメージエコな生活を現人口80億人弱が実施したら今よりも早く森林は消えてゆくし二酸化炭素とダイオキシンが大量に発生する。

ローマ時代に周りの山が禿山にされ、江戸時代も近隣の山はそうだったのではないかと言われている。その当時の江戸の人口は300万程で今の三割程である。しかも風呂に入る頻度一つとっても違うにも関わらず森林は破壊されるのである。

余談だが私の祖父母は鹿児島の大田舎で風呂は五右衛門風呂だったのだが、枝を拾ってなんて量では無いのでどこぞで切り倒した木を割って薪にしていた。料理はプロパンガスだったので薪は風呂だけだが、結構な量の薪が外に積まれていた。子供心に五右衛門風呂を炊くのは楽しかったが風呂一つとっても結構な量の木が必要だ。

つまり時代を遡ってこの作者の理想とする生き方に戻るとしても80億の人間は生活できない。その場合はより深刻な森林伐採を覚悟する必要があるし、効率の悪い耕作によって頻発する飢饉を受け入れ、大量の餓死者を出すことまで織り込んだシナリオとして推進する場合である。

そういう極端な事を好む人もいるかもしれないが、それだったら現行の直線上にある人類絶滅シナリオで突き進んでも大して結末は変わらないと教えてあげたい所である。

逆に、今の温暖化の結末程度の事で全ての生物が死に絶えるわけではないし、多細胞生物や脊椎動物が生き残るべき尊い存在というわけでもない。今までだって環境の変化や他の生物の出現によって滅んだ生物が居なかったわけではないのだ。つまり地球にとっては取り立てて大きな問題では無い。

その証拠となるかはわからないが一億年程昔に南極は木の生い茂る熱帯雨林の時代もあったらしい。二酸化炭素濃度も今より高く平均気温も高かったらしい。その時代にどの程度の生物が生きていたのかは知らないが我々が恐れている平均温度であっても生物は存在してきた実績があるという事だ。そして知っての通り既に南極には森どころか木一本すら存在しない。

もちろんだからと言って野放図に好きな生き方をすれば良いとは私も思っていない。この問題は我々人類にとっての大きな問題という事だ。そのために正しい知識を広めて、個人でも消費する資源とエネルギーを節約する事でできるだけ時間を稼ぐ事は大切な事だ。

最近は以前にも増してロシアの永久氷土の露出とその氷土によって留められていたメタンの放出が進んでいる様だ。山火事や洪水も頻発しているしハリケーンの頻度も増えている様に思える。人類の危機がそれなりの近さに迫っている証拠なのかもしれない。

二酸化炭素排出量ゼロまでのロードマップは2050年の様だが、そのスピードで間に合うのかどうかもわからない。

しかし一つだけはっきりしていることは、我々は全くもって後戻りできない状況に居るという事だ。江戸時代どころか原始時代の生活を実現しても温暖化は止められないし結末を変える事すらできない。それは例えて言えば地球丸ごとイースター島計画である。

何にせよ私は夢見がちな懐古主義者にはもっと目を見開けと、現実をよく見て状況を理解しろと言いたい。自分達に都合の良い逃げ道なんか存在しない事をそろそろ認識してもらいたい。

もちろん個人でそういった生活を楽しむことは良い。むしろ正しい節約生活なら大歓迎だ。しかしその思想によって文明の進歩を止める様な事はあってはならないのである。

既に我々に後戻りする道はない。できる限り前へ進むのだ。