チ。地球の運動についての最終巻に思う事。

久しぶりに漫画を一気買いして読んだ。チ。というシンプルな題名でなんだろうとは思っていたのだが、古本屋に行った時に立ち読みして即買い揃える事を決めた(一応1巻以外は普通の本屋で買った)。

一番感動したのはしっかりと完結している事である。正直漫画でしっかりと完結している漫画というのは少ないし、特に出来の良い漫画に限って少なかったりするのでこれ程ありがたい事は無い。

で、勢いよく読み進めての最終巻である。いったいここまでの話をどうやってコペルニクスにつなげるのか!?と思っていると出て来たのがラファウ先生である。

読んだ人ならご存じの1巻で死んだ主人公の成長した姿である、どう見ても。正直混乱した。経過した年数からすると当然別人で顔と名前が一緒。一体なぜここで出て来たのか、作者はもう少し彼の事を書きたかったのかもしれない。8巻でもノヴァックが死ぬときに幻覚として出てきてたし、結構気に入っていたのかもしれない。

そんなことを思って読み進めると今度はラファウ先生まさかの人殺しである。読んだ人が解れば良いと思っているので説明スッ飛ばしで書いているが、1巻で真実の為に自ら命を絶った少年が、今度は知識を得る為に人殺しである。

そんな話を間に挟みながら最後には非常に美しい形でラストに繋がっていったのである。

読み終わった後で私はしばし呆然とした。なぜラファウ先生は出て来たのか。そしてなぜ彼は人を殺さねばならなかったのか。しかも話の中でそれなりの割合を占めるポジションにいながら最後はあっさりと村人に捕まってそこからどうなったかが分からないと来ている。

ネットを少し巡ってみたがいまいちピンとくる説明はない。
あの話はあの話で1巻から続いて来た文脈の中での解釈は可能だ。だがどう見ても蛇足感がぬぐい切れない。そして薄い。今まで多くの血を流しながら繋げられてきた知のバトンの中でアルベルトの話だけが凄く浮いている。

何となくモヤモヤする気持ちで数ヶ月過ごしたが、ある夜ふと思い至った。
無論単なる推測である、であるが、最終巻のクオリティを考えると十分あり得る話だと思う。

それは話を当初のシナリオ通りに仕上げると8巻を出すためのページに足りなかったのではないか、というものだ。ラファウ先生の話はページにして40枚、実にコミックの5mmを占める厚みである。この話がなければ一冊の本として出す事は難しい。そして7巻にまとめるには残りのページは多すぎる。

多分に想像ではあるが編集からページ数が足りないのでどうにか増やしてくれ、という要請があったのではないだろうか。しかし前の章は綺麗に決まっているのでいじれない。そうなると最後にバトンを受け取るアルベルト(最終章の主人公)の話を膨らませるしかない。

しかし、彼は実在の人物だ。本来であれば人柄等が解るエピソードを1つつける程度であっさりと最後につなげた方が話として綺麗だ。なんだか良く分からないトラウマを背負わせる必要も無いしむしろ実在の人物なだけに詰まらないいちゃもんを付けられる様な事をする必要が無い。

しかし、ページが足りないという事態についてもむげにはできなかったのに違いない。むしろ追加しなければいけないのなら、と振り切ってあんな話にしたのかもしれない。そして編集も編集でページ追加を依頼した手前、そのまま手放しで受け取ってしまったのではないだろうか。

その様に考えると非常にしっくり来る、というか来た。
(繰り返すが推測である)

だが残念な事に別にこれでスッキリというわけではない。あの部分の蛇足感が本当に半端無くて正直編集を恨んでいる。ページ追加を依頼してたとしても、元々あったエピソードだったとしても編集としてあれは止めて欲しかった。

作者というのは自分の作品を作っている時に自分の作品の良し悪しというのは判らないものらしい。連載中に迷いが生じて迷走とか、読者を気にしすぎて迷走とか、よく聞く話だと思う。

そこを作品の質として品定めして方向を正すのが編集の仕事のはずだ。あの話こそ編集が仕事をすべき時だったと思う。
無念

因みに蛇足だが、ガリレオが弾劾されている事について地動説に迫害は無かったという話がどこかで出ていたが、それは当然だろうと思う。そもそも当時の大学でアリストテレス哲学も教えられていた事を考えれば宗教と哲学にはある程度の境界があったと考えられる。

そうでなければアリストテレス哲学だって色んな所にいちゃもんを付けて消されていたはずだ。教会が知っていて許容していたのか、詳しく知らなかったのか、あまり気にしていなかったのかは分からない。だがほそぼそとギリシャ哲学が生き残る隙間はあったという事だ。

それに対してガリレオは多くの人に知識を広める行為があったのではないだろうか。鉄球の落下実験等でも人を呼んで実験している絵が多く残っているし、ピサの斜塔での実験(これは無かったとの話もあるが)なんかを見ると一般市民が見る様な機会もあったのかもしれない。

そんな彼が声を大にして地動説を唱えれば教会だって気づくし、耳にしてはいけない人(権威にこだわるお偉いさんとか)だって耳にするというものだ。それが一般市民にまで知られる危険があれば弾劾せざるを得ないというものだろう(むしろ魔女狩りの時代に殺されなかったガリレオの名声力凄い)。

しかし、この下手な文章で面白い作品に文句つけてるっていうのも何か妙な感覚だが、言いたいことを書くだけなので気にしない事にする。