嘘は必ずしも見抜けないから仕方ないけれど嘘であった時の覚悟は必要

長い事noteから離れていたので久しぶりに開いて驚いた。
古い記事なのに結構掘り出されて読まれてるのである。
正直ちょっと感動した。

期間がかなり空いたのは、正直に言えば書くことがそんなになかったという程度なのだが、あったらあったで久しぶりに書くという行為自体が面倒臭いなぁと感じてしまったからだ。
要は物書きの向かない人間という事なのである。

しかし、今回久しぶりに書こうと思ったのは凄くメモしておきたい事があったからで、もっと言えば細々ながらだれかに知ってもらいたい話があったからだ。

さて、私は基本的に言葉や文章というものは必ず嘘が入っていると考えているヒネた人間である。一応言っておけば、それは言ったり書いたりしている人が必ずしも嘘だと思っていない話も含んでおり、それをいちいちあげつらって非難しようとは思っていない。

そもそも嘘は必ずしも見抜けないと言っている時点で、嘘を指摘できるとは限らないし指摘した部分が嘘でない場合もある、と言った点であげつらわないで上げよう等と胸を張って言える立場でもないのである。

さて、改めてなぜこんな記事を書いたのかという話なのだが、実は去年読んだ本にイースター島で人が殆どいなくなった話が嘘だったと知ったのである。(本当は去年書けばよかったのだけれどものぐさなのである)

それは『Humankind 希望の歴史』という本で、その著者が素晴らしいのは探し出せる一番古い記録までさかのぼってちゃんと確認している点だ。
イースター島と言えばジャレド ダイアモンドで、彼の『文明崩壊』(凄く面白く読んだ)にはイースター島は資源を次々と減らし、争い合った結果、文明は崩壊した事になっている。

しかし、実はそれが勝手な推測で、一番最初にイースター島を訪れた人はちゃんと手記を残し、彼らは数千人の人口を維持して平和に住んでいたというのである。

そしてそこから人口が激減したのは、奴隷船が彼らを連れ去った事が一因で、奇しくもその時代が人権を認識し始めた時代でもあり、彼らを元の島に帰す運動の結果、生き残った奴隷が島に帰された。その結果、ヨーロッパの病気に対する抗体を持たない島民が病気で絶滅寸前にまで追いやられたと、そういう話だった。

外部要因が無ければ普通に畑を作り、漁をして生活し続けていられた世界が外部からの接触によって崩壊してしまった。しかし、それがあたかも島の環境のせいで起こったかの様に知られていたという事である。(因みにこの嘘の大元はタブロイド紙だかの記事らしい)

さて、これはたまたまちゃんとした手記が残っており、それを調べた人がいたから見つかった嘘だが、はたしてそれを調べる人がいなかったらどうだっただろうか。あるいは手記が残っていなかったら。

きっと誰もその嘘を見破る事はできなかったはずだ。
つまり、正しい歴史の1ページとして記録されていたはずである。

世の中にはそんな見破れない嘘がゴロゴロしているのである。

さて、実際問題として嘘が見抜けない可能性がある以上、嘘は日常である。
そんな中で我々はどうやって生活していけば良いだろうか。

これは私の基準なので信じる必要は無いが、騙されて構わない話と騙されていけない話に分ける事である。そしてそれは人に依ってはいけない。かならず話そのもので判断する。

例えば友人がセレブな友達に連れられてヨーロッパ旅行に行ったという自慢話。いつもの友人から考えたら嘘でしょ、と思ったとしても特に嘘を暴く必要はない。嘘でも本当でも別に自分に実害は無いからだ。無論イラっとしたから暴いてやる、という人を止めもしないが。

正直イースター島の話もこのレベルとも言えるけれど、個人的にはあれ嘘だったのかよ!と叫びたくなったのと今回の話を書く切っ掛けになったという事で罪深い話として出した。

例えばオカルトチックな話の場合。話として面白いので聞いてみてもいいし、別に検証する必要はない。しかし、もしそれが宗教への呼び水の場合は徹底的にやった方が良い。無論それを通して神の存在を感じちゃった人を止めもしないが。

例えば理由もなく転がって来た儲け話。そこに参加するために10万円が必要だと言う。遊びで捨てられる10万円があるなら別に構わないが、そうでないなら、親友からの誘いでも、昔の同級生の誘いでも分けなく断るべきだろう。

実体験であった話だと、既に4年程前になるが妻に彼女の友人からビットコインを普及させるサークルに入ろうという話が来た事がある。そこに出資して人が増えてビットコインが値上がりしたら出資額が増えると言う話であった。

ビットコイン自体の信頼性について別途思う所はあるが、それ以前になぜ自分で買えるビットコインをわざわざサークルという形で出資させるか、という所がポイントである。

通常何かを運営するにはお金がかかる(主に人件費とか人件費とか)。そうなるとそのお金は何処から出すのか。当然出資金からである。そうであるならビットコインが値上がりした場合でも出資額の値上がりは必ず小さくなる。しかも信頼のおける取引所ではなく、サークルの発起人にお金を預けるわけである。

そんな事で妻には志は良いけれど直接買った方が良いと勧めた。

さて、結果的に妻のビットコインが2倍近くになった時、妻の友人の出資金はそれより2,3割安かったとかで不満たらたらだったらしい。増えた、という点で嘘では無かったが、個人的には無言の嘘が紛れた話だったと思っている。

因みに私はビットコインを一時のブームと信じていたので2倍の恩恵は受けられなかった。もしかしたら騙された方がよかったのかもしれない。

そう言ったわけで基本的に嘘は見抜けないが、何か選択を迫られる様な話の場合は必ずそれが嘘だった時の事を考え、それが自分に背負えるレベルのものであるかを見極めるのが良い、と個人的に思った今日この頃である。