環境問題には多分にタブーをはらんでいる問題

世の中には色々なイデオロギーがあり、どれこれ守らなければならないものが溢れている。今一番の話題は温暖化と海のゴミで、絶滅危惧種は既に全指を使っても数えきれないほど存在する。貧困と疫病、未曽有の伝染病の問題も解決しなければいけないし、資源の枯渇問題も対処しなければならない。どれもこれも人類の大きな課題で多くの人がそれらの問題を解決しようと奮闘している。

しかし私はその手の話でいつもモヤモヤするのである。例えば文明が発達し、人の生活が向上した上に病気や餓死が非常に減って人口が増加したことは文明の勝利であると共に環境破壊の原因に大きく加担している。1日1ドルの貧困層問題は気づけば1日2ドル問題になって徐々にそのボトムを上げつつある。医学の発達と人道的支援により人口はまさに爆発といえるほどの増えようである。1950年代に10億だった人類は今や80億だ。一方の環境問題は科学技術の進歩でなにやら成果は出ているように見えるにも関わらず、ほとんど解決に向けた進捗はしていない。

この点について正面から言及してる活動家を私は見たことがない(研究者では当然いる)が、環境問題に取り組んでいる人たちが環境破壊を増やさないように人道支援やめるべしとは言えないし、人道支援している人たちが、我々はあの人達を見捨てることはできない!環境はもうあきらめよう、なんてことは次世代への人道的観点から口が裂けても言えないわけである。環境と100憶の人類がバランスして健やかに生活できる世界が実現すればよいのだと、さもわかった風に言う人もいないところを見ると、どうも彼らも薄々は不可能と感じているのではないかと訝しんでいる。

さて、最近ひょんなことから恐竜の絶滅の原因に一つ、おならが加わっていたことを知ったのである。かれらは非常に繁栄した、しかも人間と違って、自分たちの繁栄によって地球環境の危機が訪れる等考えることもなく地球の王者として君臨し、そしてみずからのメタンガスによって地球環境を変化させ、絶滅したらしいのである。この説が本当かどうかは判らない。しかし牛のげっぷが温暖化を推し進めているという話もあるので、可能性の一つとしてそういう計算が成り立つということもあり得るのだろう。

そういう目線で見たとき、規模は異なるが人類はいくつかの自滅の道をしっているのである。一番有名なのはイースター島の話で、彼らが最後の一本の木を切り落とすまで、ずっとモアイ像を作り続けていたのではないかと、言われている。さしたる大きさの無い島である。彼らの生活は我々の1/100程のエネルギーしか消費していなかっただろうにも関わらず、モアイの加護によって人が増え、資源を消費してしまったが故に滅んでしまった文明の代表である。

ほかにもローマ帝国は大量の薪の為に木の切りすぎたためにエネルギー供給を遠方に頼らざるを得ず、効率の低下から弱体化して滅んだという説もある。クジラから油をとるためだけに絶滅の淵に追い込んだヨーロッパ人の徹底ぶりは古代からの宿命であったかとからかいたくもなるが、江戸時代の浮世絵でも山の絵には木がまばらで、これも薪として使われる量が増えてヨーロッパよろしく禿山になったのではないかといわれている。

さて、我々人類は文明がいくつか滅んだ実績を持ちながら、幸いにも今のところ絶滅は免れているが、恐竜が自らの力で絶滅が可能であることを鑑みると、文明云々に関わらず繁栄しすぎた種は絶滅すると、そういう定めの上にいる様にも思えるのである。環境破壊はスピードはともあれ産業革命以前から始まっていたことは確定であり、どのサイズの文明発展であっても環境が破壊されるという事実は逃れようもなくのしかかってくるのである。つまり人類が環境の循環の中で生きてゆくにはかなりの変革が必要ということである。

逆に今の環境変化によって地球は無くならないし、生命は既にスノーボールアースという過酷な環境を乗り越えてきたのである。環境が劇的に変わったとしてもそこには新たに進化する余地が作られると見ることもできる。人類がどんだけ地球を壊したと思っても、すべての生命をこの世からなくすことはできない。結局のところ人類が絶滅するような事態が起こったところで、我々人類が恐竜に取って代わった様に、次の地球の覇者を押し上げるための舞台準備でしかないのかもしれない。例えそれが人間にとって尊い存在に見えないバクテリアだとしても。

そういった中で、地球にやさしい、や地球を守ろうというスローガンを掲げているのを見ると正直ちょっと目線を間違えている様に思えるのだ。これは明らかに我々人類の戦いなのであり、弱々しい地球ちゃんを守ってやるための戦いではない。他人様を助けるかのような物言いではなく、各自が(60歳のお年寄りにすら)自分事としてとらえられ、かつ心に刺さるスローガンが求められていると言える。

実際に環境保全のための手段を考えるとあまり人道的でない方法ばかりが頭に浮かぶので書かないでおくが、それ以外に果して打つ手があるのか私には分からない。一つだけ確実なのはもはや人の生活レベルを低くコントロールできない以上、世界はETFではなく環境系の科学技術に投資する必要がある、ということである。