資本主義の次のステージはあり得るか 最後

さて、推し進められた自動化と効率化の波の中で、多くの人が職を失ってしまった。この新たな産業革命が起きた時、新しい仕事は確かに生まれた。しかしその絶対数はどう考えても従来労働者よりも少ない上に高度な技能が要求されるものが増えて来ていた。

ついに日本でも失業率10%を超えて来たとき、日本の政界は遂にベーシックインカムの導入に関する議論を始めたのであった。

議論は続いた。何せ物事を決められる人が居ない国だ。政治家と官僚は現行の法律の変更点等や整備に漏れの無い慎重さを演出しながら議論し、他国がいち早くベーシックインカムに踏み出してくれるのを今か今かと待っていた。その間に倒産と生活困難のドミノ倒しは続き、年間自殺者数は軽くリーマンショックを上回った。

ようやく成立を見たのは他国から遅れること実に3年後の事であった。

ベーシックインカムは細かい調整を必要としない、成人一人当たり7万円、成人前で3万円となった。これによって、まだロボットやAIではできない仕事を人がやる様に促すことと家族を構成することで、比較的楽に生活ができる様にという、その時点での境界的価格付けであった。

最早財政に規律は無かった。国は必要とあらばお金を刷り、支払いに充てた。中央銀行は国債と現金の自動両替機と化し、彼らの仕事は経済数値の調査だけになっていた。それにも関わらず、インフレは起こらなかった。多くの人がベーシックインカムで生活をしており、生活に大きな余裕は無かった。

仕事はレベルの高いものか賃金の安いものばかりが存在し、ベーシックインカムは家賃と電気、ガス代に消えていった。スーパーは量を確保するために未だにディスカウント思考であった。発行されたお金は膨張する一方であるにも関わらず、足元はデフレであった。シェアリングサービス企業もデフレを後押ししていた。格差は確実に拡大していた。

しかしベーシックインカムのおかげで以前に比べ生活には安心感があった。そして国民のマインドは明らかに前向きに変わっていた。

数年経つと政府の狙い通り、少子化は劇的に改善を見せることとなった。多くの家族が子供を3人持つ様になったのだ。人々の仕事は子供を産み育てることになりつつあった。学費は既に免除されており、子供にかかる費用はもはや生活費のみであった。生活が容易に維持できるため、大学は本当に勉強したい子供だけが行くようになっていた。

そして、人々は各地域のシェアリングサービス企業の配送センターを中心として、その周辺に住むようになっていた。それらのサービスはもはや必要不可欠であり、配送センター近くであればあるほど利便性は高かった。

センター付近では企業従事者が広い土地と共に住んでいた。少し離れてレストラン経営や小売の店が並び、一番遠い地域ではほぼベーシックインカムのみで生活している人たちが住んでいた。しかしそれらの人たちも家の質は落ちても、使えるものの質はさして変わらない様になっていた。誰もが物を欲しがらず、ただ使いたいときに使うだけになっており、みな、それなりの質の生活を楽しんでいた。

お金はほぼデジタル化していた。そのため、犯罪追跡が容易になり、犯罪は激減していた。そもそも犯罪を起こす価値すら低くなっていたのかもしれない。政府から電子入金され、それをオンラインで消費する。お金はどんどん企業に吸収されていき、政府負債はどんどん膨張していった。

企業はあふれたお金を投資と研究につぎ込んでいった。そのお金も結局は企業に戻ってきた。もはや企業ですら増え続けるお金をどうして良いか理解していなかった。しかしそれでもシステムは維持された。誰もこの状態を改善する方法は思いつかなかったし、それなりに満足だからでもあった。

研究費が膨らんだため、技術はどんどんと発展していた。もはや農業ですら、大部分はAIで管理されていた。商品の質の見極めや修理の判断、一品物の生産ですら、AIが3Dプリンターを使って行う様になっていた。工場の修理ですらAIが行うため、工場はほぼ無人であった。

研究者は殆どの操作をリモートで行っていた。技術検討や、ミーティング、企画と実施、そして実験の様な実際に物を扱う仕事もリモートでロボットを操って行える様になっていた。

世界は平穏になった。もはや誰もお金の意味を解らなかった。誰もそれを資本主義とは感じていなかったが、資本家は着々とお金を貯め続けた。