仮想通貨って結局どうなんだろうか

仮想通貨がいつまでも仮想通貨だ。最近やたら投資の世界で仮想通貨の話題が目につく。結構な投資家が仮想通貨市場に参入し始めたようである。とは言え、ビットコインは使う場所がある様だからまだ良いが、他の仮想通貨はビックポイントよりも使われていないのに違いない。

最近(かなり前だが)仮想通貨を暗号資産と呼ぶようになった様だが、一先ず国としては通貨として認めておらず、RMTできるMMOのアイテム位の扱いに留めたい様だ。それというのも近代通貨というものは国が発行するものであり、どこかの誰ともわからない不特定多数の集団が発行するなんぞもってのほかだからだ。

そうは言っても取引ができる以上税務署としては黙って見ていられないわけで、世の趨勢も激しく背中を押す事でめでたく資産という呼び名に落ち着いたという所だろうか。ある意味上手い所をいいとこどりした冴えたネーミングである。

で、この暗号資産の種類が年を追うごとに増えているのである。しかもちょっと覗いてみると、どの暗号資産にも値段がついている(だから取り扱われてるわだが)。もちろん本当に駄菓子位の値段のものもある、というかそれが大半なわけだが、誰かしら取引をしているということである。

多くの人が打算と酔狂でビットコインの二匹目のどじょうを狙っていることは判る。上手くすれば50円が100万円だ。流石にもはやそんな事は無いとは思っているが、チューリップバブルの例えもあるので、無いとも言い切れない。投機行為の恐るべきパワーは見境なしだ。

さて、そんな暗号資産だが、未だに電子書籍すら心許なくて買えない自分には何とも不思議な存在である。電子書籍は使い捨てで情報を得ると考えれば利便性があるのでいいのかもしれない。しかしアマゾンが嫌になって辞めたら買っていた本も読めなくなるというのは未だに釈然としない。掃除している時に10年前の本や漫画を発掘して読み始める自分には将来の存在に確信が持てないのである。

プラットホームと言う点ではむしろ暗号資産の方が汎用的にやり取りできて電子書籍より優れていると言えるかもしれない。しかしこちらは端末に移している時に壊れたり端末を開けなくなってしまうと完全に喪失してしまう可能性がある(そんな事件もあった)。何とも恐ろしい資産である。

そして問題は使いどころだ。テゾス(暗号資産の名前)、一体どこで使うのだろうか。ステラルーメン、ネム、ベーシックアテンショントークン、無駄に名前がカッコイイ。しかしどれも何かで使っているという話は聞いたことがない。

そもそもの構想は国境の無い、誰にも支配されない通貨という思想で世に出て来たと認識している。私が知った頃はそれなりに盛り上がっていた時で、私もなんとなくビットコインを使う日常が来るのかもと思ったものだ。

それが今ではある取引所サイトの取り扱いだけで12種もある。そのうちのいくつかはフォークと言って元の暗号資産から分離した暗号資産である。つまり、暗号資産はそれ自体が分裂し、コードを走らせれば新しく作られ、買い手さえいれば際限なく種類を増やせるという事である。

しかし常識的に考えれば、普及するにしても世界に流通できる暗号資産は一つか二つくらいのものではないだろうか。各国通貨に加えて暗号資産が20種程流通する様な社会が来るとは到底思えない。

そうなってくると暗号資産の未来はある程度見えてくる。今後、何年かしてブームが終わると多くの暗号資産は実社会への普及に失敗し、取り扱い店舗が増えず、一定の利便性を確保することができない。そうなるとその暗号資産の取引は低調となり、徐々に価格が下がってくる。基本的には暗号資産は通貨として使われることを期待されて創設されているからだ。

酔狂にもマイナーな暗号資産を取り扱っていた店は保持期間中に価格が下がることを避けるために取り扱いを中止する。それがさらに価格下落に拍車をかけ、遂にはマイニングするコストを補いきれなくなったマイナーが徐々に離脱し、最終的に正常に運用できなくなった暗号資産を取引所が取引を中止するという流れである。

そういう過程を経たとして(経なかったとしても)、選ばれし暗号資産はあたかもその国のお金であるかの様に普及するのだろうか。

長くなったので続く。