遺伝の限界、学習の限界、人類の限界

基本動物には脳があるが、脳は後天的学習のためにできたものである。これは生まれてから育つまでの間にその環境に柔軟に対応できるように発達した器官である。この機能は非常に柔軟性を持っており有用性が高いのだが、人類にとっては足枷の様な存在になりつつある。


遺伝子は非常に良くできている。親から子へ、教育不要で環境適応に関する情報を伝達することができるのである。そのため、単細胞生物や植物は教育されることなく、同じ環境で同じ振る舞いをして繁栄して行くことができる。

さらに、実は単細胞生物にもそれなりの学習能力があることが知られている。また環境状態によって遺伝子のスイッチが切り替わり、別環境に適応可能な場合もあるので馬鹿にすることはできない。しかも遺伝的なスイッチの切り替わりはそのまま子世代へ引き継がれてゆくのである。

しかし、遺伝子のみの適応には限界がある。学習容量は非常に少ないし、柔軟な環境適応も行うことができない。なので非常にローカルで単純な環境にしか生息できないのである(とは言え、そういう環境は広域に点在している)。端的に言えばある状態に対して遺伝子は機敏に試行錯誤ができない。基本的にはたまたまその適性を持っていた個体が繁殖をするか、数世代を経てその環境により適応できるかである。

その後、進化の過程で神経細胞(ニューロン細胞)を持つ種が出てきた。注意するべきは環境適用範囲を広げるためにニューロン細胞が出現したのではなく、ニューロン細胞を持った種がより広い環境適用範囲をたまたま持っていた、ということだ。

さて、このニューロン細胞だが、何がすごいかと言えば、ある刺激に対する閾値を持っており、それを超えたら次の細胞に信号を伝達し、そうでない場合は伝達しないということを後天的に学習することができるのである。学習自体は単細胞生物でもできたので単純に凄いとは言えないのだが、一番の特徴はネットワークとしてつながることで対処状況のバリエーションを増やすことができるのである。

単純な例として、2つのニューロン細胞が直列につながれば、3通りの学習が、1つに2つのニューロン細胞がつながれば5通りの学習が可能になるのである。ニューロン細胞は複数の細胞につながってネットワークを構成するので、100個もあればかなり柔軟性の高い学習が可能というわけである。

脳が出現するまでの過程は判らないが、何にせよニューロンが発達して脳を持つ生物が生まれたわけである。脳は非常に柔軟な学習能力を持っている。例えば同じ遺伝子の昆虫が地域によって違う風の乗り方を学習したり、同じ遺伝子の動物が地形によって身の隠し方を学習したりといったことである。これは遺伝だけでは成し得ない適応性である。

さらに脳の適用範囲は広がり、動物の一部は自分以外の個体の経験の一部を学習できる様に進化したのである。これによって知らない状況に遭遇しても、あたかも経験したかの様に対処できる様になったわけである。もちろん脳の記憶容量にもよるわけだが、細かい状況のバリエーションについても学習する余裕が出てきたわけである。

さて、何の因果か、人類はより詳細な情報を伝達可能な言語を発明し、それによって、さらに脳の適用範囲を広げて伝承や口伝によって世代や地域を超えた学習を実現したのである。その結果、人間は自然の猛威から逃れ、生きてゆくのにかなり快適な環境を自ら構築することができるまでになった。

さて、どこからを文明と言うべきかは議論の分かれるところだが、約5000年前後から、文字を使った文明が発生し始めたらしい。それは人づての伝承や口伝を超越し、自分と一切の接触のない人からの情報を学習できるようになったのである。本が出始めたころ、一部の人は今まで記憶していたことを外部化することで人は劣化してゆくと言っていたらしい。確かにそういう部分もあっただろう。最近の若者はなんもわかっとらん、と当時のお偉いさんのボヤキが聞こえてくるようである。

しかし、人は記憶の一部を本に移すことで結果的により高度な文明を築くことができる様になったのである。これが何を実現したのか、自分は知識のブラックボックス化が容易になったのではないかと考えている。

一般にブラックボックスというのは印象の悪い言葉だ。確かにブラックボックス化した知識や技術に誤りがある場合、目も当てられない事態に発展する可能性がある。しかし、何も知らずにそれらの技術や知識を使うことができるのは、その上に何を積めるかに思考リソースを集中できる点で、非常に有益なのではないだろうか。

何にせよ人類は他の人が記録した知識を検証し、積み上げ、上書きできる技術を得たのである。そして、その知識の検証結果を持ってブラックボックス化し、以降の人たちはその結果のみを用いて、その上に知識や技術を築いていったのである。その結果、人類は大きなブレークスルーを経て、現在の様な高度な技術文明を築き上げたわけである。

今では膨大な知識が世界を覆っているが、誰もそれらの知識の大半は網羅することができない。そうでありながら、それらの知識を真として使っているのである。これはコペルニクス的転回によるパラダイムシフトが起こった時に受け入れられない人たちが出てくる理由ともなっている。

さて、こうしてどんどんと知識が積みあがってきたわけだが、ここに来て私は人類に大きな壁が迫りつつあるのではないかと考えている。それは学習の限界である。

長くなったのでつづく