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羊と多胡碑③

「羊」が動物だったというのはやはり現実的ではない気がします。石碑に刻むからにはそのことを後世に伝えたいと願うからであり、羊の牧場について刻む意味がわかりません。

やはり「羊」は人だったのだと思います。
「多胡郡」がソグド人が暮らした町だったと仮定すると、「羊」もソグド人であるのが自然に思えますが、これは違うと言えます。

日本にソグド人が住んでいたとすれば、それはソグディアナから直接日本に来たのではなく、中国を経由して日本に入ります。というよりも、おそらく唐に住んでいたソグド人が日本に移住したと考えるのが自然です。
唐に住んでいたソグド人は、昭武九姓と言って、出身地域を苗字にしています。サマルカンド出身は「康」、ブハラ出身は「安」、タシュケント出身は「石」といった具合です。この九姓に羊は含まれていません。

羊姓は古くから中国にあります。ですから、羊をソグド人が名乗ることはないと思うのです。

中国の羊姓は古く、『後漢書』31巻「羊続伝」に漢安帝(106年~125年在位)時代の大臣に羊侵という山東省泰山郡出身の人物がいたという記録があるそうです。この泰山羊氏は羊姓のルーツの一つで、北魏の梁州刺史の子でありながら南朝梁に帰参した軍人の羊侃(495年~549年)が有名です。

ちなみに、多胡碑の楷書は六朝時代の書風を残すと言われ、多くの書家が絶賛し、高い評価を受けてきたそうです。ただ六朝時代で有名な書家といえば王義之(303年~361年)であり、多胡碑の文字を王義之の書と比べると…比べるまでもなく…。なぜ多胡碑の字がそこまで評価されてるのか謎です。

多胡碑の拓本


話は戻って、羊姓は新羅にもあるようです。

つづく

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