最近観た映画について

 最近観た映画について。Uber eats配達員の体験をセルフドキュメンタリした映画、東京自転車節を見た。一般的な評価や論点とは違って、色々と微妙な問題のある映画だと思った。だけど、その微妙な論点について議論するのは重要なことではないかと思う。以下、映画の感想。
 2020年のコロナ禍の記録やUber eats配達員の豆知識情報を得るには良い。東京の街に人がいない感じ、街頭に流れるニュース映像、人との接触への個人差、ステイホームでの暮らしの変化、しない料理にはまったり、仕事の変化、オンライン授業、ホテルの安さ。
 一般的な論点としては、コロナ禍で日雇いで働くことの実践的提示。配達料は距離に関わらず1回500円、週ごとにまとめて振り込まれる。自転車は電動自転車の方が体力を消耗せず、格段に速く走ることが出来る。注文が入りやすい場所が街の中にはあり、その場所を把握することは重要になる。配達回数が賃金に直結しているため、より多く注文が入ることで、時間のロスが少なくなる。雨の日は注文が多くなるので稼ぎ時だけれど、雨に濡れながら配達することになり、仕事は一層辛くなる。仲間同士の情報交換は大事。情報交換で言えば、Uber eatsについてだけではなく、東京で野宿をしたり、簡易宿に泊まること、安くて大量のご飯に有り付ける場所の情報などの口コミ。同じような境遇の人たちが集まり、必要な情報を持ち寄り、この仕事や生活についての情報を交換する。そして、Uber eats配達員の人員は、出稼ぎ要員のため、固定せずに入れ替わり立ち替わりする。映画の最後の方で、大阪からも出稼ぎにやってくる。代わりがいくらでもいることの暗示。
 映画終盤の「システムを理解する」というキーワードは、Uber eatsのゲーム的な側面についてを示す。3日で70件配達をすると、追加のボーナスが支払われる仕組みがある。これに挑戦することをドキュメントしている。このゲーム的な面白さ、やり甲斐をこの部分はかなりドキュメント的に写していると思う。
 閉塞感のある一連の内容は、現代のコロナ禍の日雇い労働者という社会問題を描いているように鑑賞者は受け取れる。
 だけどそれがどこか自分にとって腑に落ちない。映画的な面白さも圧倒的に欠けている。その点がどうしても気にかかる。まず、劇中にかかる音楽が同じ(何パターンかのアレンジはある)。また、台詞の語彙が少なく、同じ言葉を繰り返す。「稼ぐ、稼がないといけない、自転車を漕ぐ」その言葉は願望を体した登場人物の愚痴であり、登場人物とともに、観る人の思考停止を促している。社会問題に対する現状と語彙の関係について、どのような形が相応しいのかを考えさせる。
 登場人物は監督であるため、言い方を変えると、当事者の作品ともいえる。この映画には、当事者が当事者の問題を語ることのメリットとデメリットが如実に表れているように思う。
 映画の中での語彙の少なさに、観客への思考停止を促している点で、観客は不快感を持つ。もし、語彙が全くなければ、観客はまた違った思考を促すだろう。そして、この語彙の少なさは、少ない語彙のその使われ方にも原因がある。その言葉が、映画的、物語的、象徴的な使い方をしている点だ。
 登場人物=監督自身の性格や振る舞いを、社会問題や貧困、コロナ禍、といった大きな問題とどこまで結びつけて考えて良いのかも判断に難しい。
 劇中、何度も話題にする奨学金返済の話。未来の投資のための奨学金であるはずが、監督の現状を圧迫しているという事実だけが示されるため、その未来への投資としての学び自体に、かつてどのような期待や希望があったのか、それがどうして実現しない現実となったのか、などが提示されず、ただ現実を脅かす象徴だけになっている点で、映画の物語の要素として不十分に思う。
 また、監督の金銭的にルーズな性格について。これだけお金を稼ぐことに固執する振る舞いを再三見せておきながら、特別給付金の10万円を家族に譲渡することを宣言したり、お金が入ると、ホテルに宿泊して散財する。この性格を好意的にとることもできる。なぜなら、苦労している人が紋切り型に苦労し続けていなければならないとも思わないからだ。けれどそれが尚更、ドキュメントではなく、映画的演出なのではないか、と感じてしまう。
 そして最も危険な点は、このルーズな性格を、日雇い労働者への一般的なものとして捉えてしまう構図にもなりうる危険性を持つからだ。この映画は「コロナ禍、Uber eats、社会問題、貧困層」という大枠のテーマを掲げている。
 まとめると、この映画の問題点は、複数の要素が混在している点にある。ドキュメントとしての社会問題の提示、映画としての登場人物の個人的資質に関する物語性の演出。複数の異なるかなり重要な要素が区別や整理がされないまま、混在してしまっている点に問題がある。
 それを「コロナ禍の貧困についての社会問題」という切り口で提示するのは、かなり危険性を伴っている。
 そう考えると、題材のUber eatsという選択は、「手っ取り早く、映画になりそうな題材を選んでみた」だけに過ぎない気がしてくる。むしろ、コロナは関係なく、その「手取り早さ」の方が現代的であり、現代社会を表している様に思う。そういう点では、この映画は一貫性があるとも言えるのかもしれない。

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