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【小説】囚われの歩く岩を待つ

 常にその行列の先頭で、わたしはわたしのためだけにあしらわれた箱に収まり移動した。わたしは一方通行の手紙だったはずが、領主と暮らす城から、生みの親である統治者の街へ、いつも連れられ帰っていく。生まれは江戸、育ちは阿波。わたしの故郷は江戸であり、阿波である。
 旅の理由はさまざまあれど、わたしの旅はいわゆる公務だ。行きたいか行きたくないかは関係ない。行かねばならない公務の旅は、旅は旅でも旅という日常だ。わたしは繰り返し旅をし続けた。
 見た目通り、わたしは物質的に薄くて軽い。しかし、大変重用された。かつてこの街での話だ。神ではないが、わたしは偉い。なぜなら、わたしはこの街の封建領主より、さらに偉いこの国の統治者の言葉が記されているからだ。
 前任の天下人を滅する戦いがあった。この街の領主も参戦し、その活躍は、統治者に勝利を導くために、大いに貢献する。統治者はその功績を称える感謝を書き記し、領主に贈った。それがわたしだ。領主やその家来たちは、わたしを統治者との鎹として丁重に扱った。領主が暮らす城の中に、わたしのために用意された一室まであった。
「二年に一度、会いに来るように」統治者は自分が治める国中の領主たちに約束させた。統治者には逆らえず、むしろ多少でも好意的に思われようと、どの領主たちもこぞって、各々の街から統治者の住む街へ、たくさんの家来を伴い向かう。それはまるで春先のミツバチの分峰のように、一斉に群れを成し移動する。
 この行列の旅の習慣は二百五十年間続いた。その間に領主も統治者も何度も代替わりを繰返し、人はひとりも二百五十歳生きたという話はない。だから、この街でわたしほど、その旅へ赴いたものはいない。
 だが一度だけ、この公務の旅から抜け出したことがある。あれはまさに冒険だった。冒険とは意志が備わる旅のことだ。
 よく晴れて風のない日だった。その日もわたしは行列の箱の中にいた。遠くに富士山が見える場所に差し掛かる。豆粒ほどの末広がりは、輪郭がはっきりとして、小さいなりにも絶景だ。旅情に緩急がつく。そうかと思うと、富士山がふっと見えなくなった。富士山に重なり浮き上がったのは馬であった。しかし、馬の首は生々しく切り落とされて、太くて白い骨の断面が見えている。首切り馬の背中には、乱れた白髪の一つ目の青鬼が乗っていた。夜行(やぎょう)さんである。彼は同郷の妖怪だ。意外な場所での意外な相手との再会に、わたしは嬉しくなったと同時に、大変驚いた。
「箱の中から失礼します。ここで何をしておいでですか。夜行さん」
「その声は感状さん、こちらのご一行様は阿波藩参勤交代のお勤めでしたか。ご苦労さまです」夜行さんはわたしの歩みに合わせて馬を歩ませ会話を紡ぐ。そういえば行列の一行は誰も夜行さんに気付いてないようだ。
「昨晩はこの街道で百鬼夜行の宴でして。それは盛大に、方々から魑魅魍魎、妖怪たちが大勢集まり、楽しいひとときとなりました」
 街道を行き交うものは人間ばかりとは限らない。場所は時間で分け合うもの。昼間に人が通る道は、夜は妖怪をお通しする。百鬼夜行は昼間見えない者たちの祝祭なり。祭りとなれば話は別で、妖怪一行も持ち場を離れていざ集う。だが、しかし。
「しかし、他ならぬ決まりに厳しい夜行さんが、祭が終わった後も郷土に戻らず、真っ昼間、人通りの多い街道に居られるとは」
 神出鬼没というものの、妖怪の実態は出没場所や時刻に律儀である。むしろ人間が勝手に妖怪の領域に踏み込んで、妖怪に会ったと空騒ぎ。夜行さんは、そんな忌み日に出歩く人間を裁く。いわゆる岡っ引き気質で硬派と名高い夜行さんが、理由なく自らを甘やかすとは思い難い。
「それが昨晩、気になる話を耳にしまして」
「さて、それはどんな」
「これからこの道に、江戸の将軍への献上に、歩く巨大な岩が通るという噂です。地団駄橋に似た青灰色の大きな岩の塊です」
 夜行さんの話では、その岩はゆっくりと自らの力で動き、ひらひらと二枚の羽根が身体の左右に生えている。けれど、重い身体は飛ぶことがなく、地面を這うように歩く。そして、真ん中に一本真っ直ぐ伸びた長い枝に、大輪の真っ赤な花が咲いている。
「伝聞された容姿から、その者は塗壁妖怪の一種でないかと睨むのです。妖怪仲間が人間に捕まり見世物にされようなら、助けてやりたいと思うのが正義。昨日宴で出会った天狗殿に頼んで隠れ蓑を借り、こうして人の目に入らぬように姿を消して、その歩く岩がやって来るのを待っているのです」夜行さんは背中に背負った茶色い蓑こちらに向けた。
「なるほど。そういうご事情ですか。どうりで人が夜行さんに驚く気配がちっともない」
 一方、わたしは夜行さんの話を聞きつつ、馴染みの岩のことを考えた。城の庭の枯山水に架かる阿波の青石だ。
「ところで、いま仰った件の妖怪に似る団駄橋とは遺恨の橋でして」
「と、いいますと?」夜行さんは話を促す。
 かつての領主が統治者の養女を妻にめとったが、その妻が領主に毒を盛ったと疑われる事件があった。領主は愛する妻からの裏切りと、統治者からの信用不信に嘆く始末。毒を盛られた悔しさに地団駄を踏み、岩が割れたと伝説になる。
「しかし、昔の話でしょう」夜行さんはあっけらかんと、人間同士の争いごとに興味がない。しかし、わたしの身の振りは人間事情によって、大いに左右される立場にある。
「領主と将軍の仲が良いからこそ、わたしも日頃より重宝されておりますが、万が一にでも、将軍がその献上の者をご覧になり、地団駄橋の毒盛り事件が蒸し返されて、領主と将軍が仲違いするようなことがあれば、どうでしょう。一夜にして、領主からも、将軍からも、わたしは目の敵になるとも限りません。それどころか、わたしなど一瞬で燃やされ、あっという間に煙となって消えるでしょう」
想像しただけで、わたしは無風の箱の中で身震いした。
 青い空から突如、悲しげないななきが一つした。首切り馬が同情したのだ。首がないから無口だと、思い込んでいるのはこちらの勝手。夜行さんも首切り馬につられて、ようやく気の毒そうな顔をした。
「百聞は一見に如かず。感状さんもここは一つ、一緒に待ってみるのはいかがでしょう。ともに歩く岩の正体を確かめましょう」
「しかし、わたしもこの勤めがありますし」
「まあ、わたしに任せてください」と言い、夜行さんは隠れ蓑の力を使って誰にも気付かれぬまま、わたしの入った箱の蓋をひょっこり開け、あっさりわたしを抜き出してから、また蓋を閉めた。箱は何事もなかったかのように、黙って行列とともに先へ先へと進んでいった。
 こうしてわたしと夜行さんは、囚われた歩く岩がやって来るのを待った。昼間の街道は多くの旅人が行き交っている。時は人の移動を変化させる。時代の曙、公務以外の旅は不許可とされたが、次第に信仰を目的とした旅が許可されて、蟻の穴から堤も崩れ、旅の理由は信仰から観光へ、人は移動を促進させる。今となれば、公務、信仰、観光と、理由様々人は旅する。
 娯楽を目指して行脚する人々に、茶屋は名物でもてなした。餅や羊羹といった甘味である。
「長旅の疲れた身体に染み入るこの甘さ」
 茶屋の縁台で憩う人々が、ご馳走を前に嬉々として和んでいる。
 それを目にした夜行さんは、人間のことには興味はないが、人間が食べてる物には逐一気になる様だった。旅で羽根を伸ばしていることも手伝って、性分違いの出来心、隠れ蓑を悪さに使い、あちこちの茶屋から名物を拝借して来ては、美味い美味いと言って頬張るのに大忙し。一方、今後の進退が気に掛かるわたしは、その食欲に呆れ顔して横目で見やる。
「これは不味くて食えたものじゃない」
 突然こう言い、夜行さんは甘味の一つを、思わず慌てて吐き出した。小さな団子が十つ連なる数珠状を成す菓子は、厄除け団子と夜行さんは本能で見抜く。効果覿面の菓子である。
 僅かに夕刻の気配が忍び寄る空には、黄色い光が帯び始める。その時だった。西の方角が騒めいている事に気が付いた。見慣れないものが近づいている。いかにも重そうな大きくて丸い身体を、短い四本足で支えて動く。正面の顔の左右には大きく平べったい三角をひらひらさせ、真ん中から垂れた長い棒をなめらかに揺らして歩いている。人だかりからは好奇心の声が聞こえてくる。
「長崎出島からやって来たそうだ」
「あの長くて大きなものは鼻らしい」
その姿は夜行さんが聞いた噂とは、概ねその通りだが、想像していたのと少し違うものだった。その生き物はこちらに気が付いて、向こうから話しかけてきた。囚われ困っているよりも、どこか余裕風を吹かせている。
「君たち見慣れないね。この国の精霊かい?」
先に質問されてしまった夜行さんは、動揺して質問を質問で返してしまう。
「そっちこそ何者なんだい?」
「僕?僕はゾウだ。この国の将軍に会いに、遥か西の街、越南から三十七日間海を渡って来た」
「我々は囚われた歩く岩を助けに来たんだが、そちらは妖怪でもないし、困っているわけでもない様だ」
「僕は動物だよ。長い移動、慣れない気候、虐められたりしやしないか、不安も今のところ問題ないよ。歩き疲れたらマッサージをしてくれるし、よく歩いた日の褒美に食べる、蒸した饅頭の皮も美味い」
「蒸した饅頭の皮が美味しいとは。それは初耳ですな。またどれ程までに美味いものでしょうか」
 ゾウの語る好物に、夜行さんが興味を示したその瞬間、赤い空から鋭い稲妻のようないななきがした。怒り混じりのそれは、首切り馬からの抗議の声だ。調子に乗って食べ過ぎた夜行さんの増えた目方に、堪え兼ねた同伴者からの悲痛な叫び。夜行さんは我に返り、自らの愚行をようやく反省するに至る。
 わたしはゾウが、ちっとも地団駄橋に似ていないことに安堵した。
 ゾウを見送ると、日が暮れ、月夜になった。夜は見えない者たちの時間である。月に照らされた街道は、闇ではなく奥行きのある藍色だった。そして間もなく、目の前に、行く手を阻む大きな壁が立ち現れる。夜行さんと一緒になって待っていた塗壁殿が、もうすでにずっと目の前にいたのである。つまり、われわれは塗壁殿を待っていたのではなく、ずっと塗壁殿に通せんぼされていたのだ。
 月の光に照らされた塗壁殿は青みを帯びた灰色で、地団駄橋に似ていた。しかしさらに気に掛かるのは、塗壁殿のお腹の真ん中からはみ出してバタつく茶色い鳥類の羽根と、塗壁殿の頭の真ん中から長く伸びた茎の先、植物の硬い蕾である。先程のゾウとは似つかずとも、その姿も夜行さんが聞いた噂の通りのものだった。
「もしや塗壁殿も将軍に会いに行かれるのでしょうか」わたしは問うた。
「塗壁殿は首切り馬ならぬ首切り鳥をお抱えでしょうか」夜行さんも問うた。
「人に会うどころか、日長一日身動き取れずに困っております。それにこの暴れる羽根は、首切り鳥ではありませんよ。これには訳がありまして」と塗壁殿が事情を語り出す。
 昨晩百鬼夜行へと向かう塗壁殿は、近道に神社の境内を通り抜けようと試みる。しかしそこに、一羽の鶏が警戒心むき出しに飛んで来た。通せんぼが性分の塗壁殿が、鶏によって通せんぼされた。だが、その身体に異物を容易に取り込む塗壁殿の体質は、勢い余った鶏をうっかり取り込んでしまった。思い掛けない出来事に、また驚いた塗壁殿は、さらに放生池へ真っ逆さま。蕾が頭に刺さる。
「泣きっ面に蜂の結果がこの姿。鶏を追い出すも取り入るもままならぬまま宙ぶらり。わたしの力ではもう、うんともすんとも出来ずに、途方に暮れているのです」
「ここは我々が手を貸そうではないですか」
 そう提案するや、夜行さんは、塗壁殿からはみ出した羽根を掴む。そして、一呼吸してから思い切って引っ張ると、他力によって、するりと鶏は塗壁殿から抜け出した。足が地に着く自由の嬉しさ余り、鶏は地面を陽気に駆け回る。
 腹の次は、頭の上。塗壁殿の頭上に生えた茎がどんどん伸び始める。月を掴みに行くように、上に上にまっすぐに。蕾はみるみる膨らんだのち「ポンッ」と音が鳴った。淡紅色の蓮の開花を合図に、鶏の茶こけた羽根は、ゆっくり大きな弧を描く。羽ばたきを一つ。するとたちまち、鶏は明るく黄金に輝き、みたことのない美しさで飛び立った。鳳凰である。
 神使として仕える鶏は鳳凰の化身だ。塗壁殿に捕まった鳳凰の混乱が、見えないものたちを狂わせる。妖怪同士が通せんぼ。妖怪自らも立ち往生。そして、自由になった鳳凰は、すべての混乱を解消させる。
 鳳凰のまとう後光が炎になった。そして突然、わたし目掛けて飛んで来た。迫り来る火の玉に、わたしは自らの思わぬ結末を覚悟した。燃えて消え去るだろう、と思ったその時、触れた鳳凰の嘴はひやりと冷たかった。そして、わたしは高く空へと飛び立った。

 気が付いた時には、再び行列の箱の中だった。朝を告げる鶏がすぐ近くで鳴いた。
 これが公務の旅を抜け出した冒険談である。しばらく後に統治者は失脚し、公務の旅そのものが消滅した。今となればその習慣は過去の遺物だ。何代か後の領主の子孫は、鳳凰の研究に勤しんだが、わたしはあれ以来、まだ鳳凰との再会は果たせていない。 
 そして、わたしの最近の日常は、かつてのわが住まいの城跡にある博物館展示室、ここの透明なガラス箱の中に居て、多くの旅人がやて来るのを眺めている。またそろそろ、この日常から抜け出してもいい頃だ。

※徳島をテーマにした地方文学賞に応募した小説です。

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