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映画『DAHUFA -守護者と謎の豆人間-』についてのメモ(分析)

 この文章は映画のネタバレを含むので、一度映画を見てから読んでいただくことをお勧めします。映画を見て、気になった人向きの文章です。

 『DAHUFA -守護者と謎の豆人間-』は中国のアニメだ。アニメだけどバイオレンス描写が激しいため、中国での上映時は十三歳以下は入場不可と自主規制をしていた。子どものものとされるアニメを、大人のアニメとした作品。約十五億円の興行成績を記録している(だけどこれが中国市場としてどれくらいの功績かはわからない)。

 物語のあらすじは、守護者ダフファー(数百年前から代々国の守護者を務める一族の末裔)が失踪した皇太子を探すために、豆人間の住む村に迷い込み、そこから脱出するために繰り広げられる格闘アクション・バイオレンスアニメだ。
 主人公の赤いだるまのダフファーは孤高のヒーロー、ダフファーの同行者であるケセランパサランみたいな飛ぶ動物は可愛いし、皇太子は人間味があるお調子者、他、各キャラクターの性格や造形がとても魅力的だ。
 映画のもう一つの世界観の主軸をなすのは豆人間だ。豆人間そのものや、その背景である蟻猿の生態、蟻塚を模したような蟻猿の巣の造形も独創的。映像や音楽はとても精密で豪華だし、ダフファーの軽やかな動きであるアクションがイチイチかっこいい。
 だけど、一回目観た時の感想は、物語が少しわからないところがある映画、だった。そして、観ている最中はアニメと思いながら気にならなかったバイオレンス描写が、見終わった後から気分の悪さに響いてくる感じ。だけど、物語が十分に理解しきれなかったので、本当におもしろい映画と、信用していい映画なのかがわからないところもあった。
 そんな感じだったので、わからないところが気になり、翌日二回目を観に行った。わからないと思っていた物語がとてもはっきりしたし、物語がわかると、心配していたけれど二回目はバイオレンス描写にそれほど気持ち悪くはならなかった。それはおそらく、一回目のバイオレンス描写の後味の悪さが、物語の意味のわからなさからも由来していたように思う。
 そして、一回目作品を観たときにいろいろ探したけど、あまりこの映画についての解説的、批評的な文章が見当たらなかったので、私が観てわかったこと、気になったことをメモがわりに記事にすることにした。
 
 気になった点の一つは、物語の後半、ジャンの叔母によって豆人間の中で喋れる者がいることがわかり、ほかの喋れる豆人間も自我に目覚めて、反乱を起こした。そのあとのシーンで、引きの遠目の映像で、喋れない豆人間かどうかを確認し殺していた。
 映画の公式Twitterくらいでしかこの映画の情報が見つけられなかったのだけど、そこに結構重要な情報が載っているので引用する。
「▷キャラクターを見る時必ずラベルを貼ってしまう、こいつは“ヒーロー”、こいつは“悪役”
▷でも、彼らの行為の後ろにあるものを考えると、そこに“絶対的な悪役”は存在しない」
 一回目観たときはぼんやりとした記憶で、後から考えるとかなりこのシーンが気になった。おそらくこれは上記のような両義性が理由ではないかと思う。キャラクター、例えばマオや吉安の人間味あるキャラクターは、悪役だが、ただ悪役とは言い切れない。個だけでなく組織の善悪が変化したときにも同じように、新しい善を必ずただの正義とは描かないことで、組織というものの本質を描こうとしているように思えた。また、その集団行為の両義性が、殺すという行為で表されることも、それ自体に大きな意味を持つように思う。

 二つ目は、女性の扱い方だ。登場人物には、男性には名前があるけれど、登場人物の女性には名前がない。館の女も、ジャンの叔母も、蟻塚の母親も。あと劇中登場するといえば、皇太子が描きたいと言っている宮女も。名前がないけれど、劇中はとても重要な役割を演じる。それぞれ、ジャンの叔母は知性と勇気がある言葉をしゃべる豆人間たちの先導者となるし、蟻塚の母親は豆人間の生みの親で、生命の源ということになる。館の女はエンドクレジットの途中に出てくる。つまり映画の最後に出てきた人物であり、あの屠殺場の場所で意味ありげに、しかし、はっきりとした意図は示されないような演出で映画を締めくくる。この映画の悪役としてのラスボスは彼女だったのではないだろうか?
 しばしば歴史は男性のものであり、女性は影に追いやられている。だけどこの映画に登場する、物語の重要な役割を担わせる無名の女性たちはその歴史に対する対する反論のようでもある。

 また、三つ目として、わざと謎を明かさず、謎を謎のままのこす演出も多々している。館の女は、実際のところは謎が明かされていない。謎がはっきりとは明かされないキャラクターは他にもいて、ミンの弟とされる豆人間も同じだ。皇太子やダフファーを監視したりして、ミンを助ける。部屋で一人で喋り取り乱す場面で彼もしゃべる豆人間であることがわかる。けれど、そもそも巣で蟻猿の塚で蛹として成長する豆人間の生態からすると、子どもの蟻猿の存在は不自然だ(最初の館の場面で覆面が豆人間の男女を射殺し、その男女の子どものようにみえる小さな豆人間が残される場面があった。そのでもその子どもの豆人間と弟が同じ豆人間かは、もう一度確認する必要がある。もし豆人間同士の子どもであれば、生態のレベルで従来の蟻猿とは異なった意味を持つ存在になる)

 この三点が物語上で特に気になった点だった。さらに深読みするには、中国の文化的背景や中国の歴史に照らして分析できるかもしれないけれど、にわかにはできない作業だし、特にここで分析はしない。むしろ、中国事情に当てはめずとも、描かれたままを一先ず分析すべきなのではないか、とも思う。。
 また、二回作品をみて、この映画の物語は明らかに解る映像や音楽と同様に、とても綿密な作りになっている物語だったことがわかった。物語の綿密さには、少し複雑なところもあって、一回だけの鑑賞では私には追いつけないところがいくつかあった。

 先にも書いた通り、一回目作品を観てから、なかなか意味がわからないところを調べようとしたけれど、この映画の情報があまりインターネットに出てこなかった。なので、映画を観たけれど、なんとなくよくわからなかった人向けにもこのメモを書いておきたいと思う。

 以下は登場人物メモ。登場人物のキャラクター描き方、物語の役割を分析することで、全体の物語の意味がかなり整理される。
(▷は映画の公式Twitterからの引用)
ダフファー 守護者 奕衛(イーウェイ)国の王宮から失踪した皇太子を探す。4代前から王宮の守護者をしていて、人間とは異なる設定。
▷数百年前から、代々国の守護者を務める一族の末裔
▷普段はいつもぶつぶつと独り言が多い呑気な性格だが、
 いざという時は非常に頼れる
▷しかし、そんな無敵な彼にも、天涯孤独の宿命が…
皇太子 弟に王位を譲りたい。絵を描くことが好きで、芸術家になりたい。宮中の女性の絵を描く許可を得たことで王宮に帰ることに納得する。
▷王位継承順位は1位だが、政治や権力よりも絵画に夢中
▷ワイルドな見た目だが、マイペースなお調子者
▷父親である皇帝から絵画禁止令を出されてしまう
▷その結果、彼は自由な生活を求め密かに国から脱出
豆人間の村の人々 村の住民は自らの意志を持たず、喋らず、見た目も皆そっくり。豆人間同士で監視社会が生まれていて、銃を持った監視員と、監視員に密告する人。目と口は借り物。人間に憧れている。頭の中に石を作るため、殺した後はそれを回収するために包丁で捌くことを仕事にする男がいる。体にキノコが生えると病気とみなされて殺される。だけど痕が残るだけで本当は死なない。
(秘密)正体は蟻猿。豆人間たちは蟻塚のような巣の中で生産される。蛹は育たないことが半数で、それらは捨てられる。蟻猿は配給される豆人間の食料でもある(共食いをしている)。生態も蝶のストローのようなものを口から出す。
反乱分子 喋る、意思を持った、知ることを求める豆人間がいることが、後半になるとわかる(文革時を想起する)。反乱分子が目覚めてからは、喋らず銃を持った体制側の豆人間を、反乱分子が殺す場面が描かれている。
母(蟻猿、豆人間の母) 空中に浮かぶ黒い豆型。音を鳴らす。最後、黒い殻を破る。
ジャン 皇太子が助けた豆人間(他の豆人間と見分けがつかないので赤い印を腕につける)。しゃべれるけれど、それを隠して生活する。
ジャンの叔母 喋ることができ、知恵がある存在。ジャンを蟻猿の巣に案内し、豆人間の秘密を伝える。目をつけていない。包帯を巻いているのは、キノコの痕が残っているのを隠すため。
ミン 皇太子を助ける。その後、皇太子を騙す策略家。皇太子に黒魔石(恐怖と憎悪の力を秘めた危険な石)を使って脅し、自分を売り込もうとする。最終的に、ダフファーが野放しにするのも危険と判断して、皇太子と一緒に奕衛国へ連れて行くことにする。ミンの家系は資産家の家系で、吉安はお爺さんに当たる。豆人間の弟がいる(設定は物語上明かされていない)。
吉安・神仙 豆人間のシステムを作り、黒魔石を生産するために豆人間を利用する。豆人間の頭の中には黒魔石が出来る。(内蔵物や副産物を採取するのは真珠や養蚕が近い、豚などの畜産も。人間同士でいえば、階級間の搾取構造)
マオ 豆人間の死体を捌く仕事をしている。板前の先祖を誇りにし、それに恥じない一刀の技を目指すための練習として、豆人間の死体を切り刻んでいる。野望は一刀で心臓をくり抜くこと。ダフファーはその野望を聞き、それが実現した日が、自分の命日になる、と予言した通りになる。マオの残虐性を強調するだけにしないのは、語り口にひょうきんさを持たせたキャラクターになっているから。自尊心が高く、自分の野望の語りを聞かせたがる。短気。豆人間を豚だと思っているため、簡単に豆人間を解体する。だけど、皇太子とジャンの感情のやりとりをみて、我に返る。
女と覆面 女は覆面とともに吉安たちの屋敷に住んでいる。覆面は残虐に侵入者を銃で殺害する。ダフファーに最後は殺される。その際、ダフファーは覆面が自分に似ていると言う。覆面の最後の言葉は「母さん雨が降ってきました」だった。とても日常的な言葉だ。
この女と覆面の二人の設定も、物語上明確に明かされていない。エンディングの途中で女が覆面の死体に寄り添うカットがあるけれど、それもクリアな描写にはなっていない。

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